米原機関区

米原機関区の車両

米原機関区の想い出

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機関区に憩う
D50型蒸気機関車
'68.3 米原機関区

D50249と
D50300
'68.3 米原機関区

区修繕中の
D50300
'68.3 米原機関区

デフに白い縁取りの
D50249
'68.3 米原機関区

       
ターンテーブルに乗る
D50200
'68.3 米原機関区

正面を向いた
D50200
'68.3 米原機関区

ターンテーブルに乗る
D51785
'68.3 米原機関区

長工デフの
D50131
'68.3 米原機関区

       

D50131と
D50350のテンダ
'68.3 米原機関区

休車中のD50350
はパイプ煙突
'68.3 米原機関区

車体に雪を乗せた
休車中のD50201
'68.3 米原機関区

機関庫内が
D51に代わった
'68.8 米原機関区

       

給炭中の
D51776
'68.8 米原機関区

最後の生き残り
D50300
'68.8 米原機関区

DD50とDE10
が登場
'68.8 米原機関区

EF65も
ターンテーブルに乗る
'68.8 米原機関区

       

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東海道本線と北陸本線のジャンクション、米原駅の大阪寄りに、東海道本線の上り線と下り線にはさまれるかたちで、米原機関区がありました。今では、米原駅の下りホームが移設されて本線の位置が変わり、その跡を見つけることは困難です。

1968年の10月、ヨン・サン・トーの国鉄ダイヤ白紙改正が行われるまで、電化区間であるにもかかわらず、米原機関区には多くの蒸気機関車が配置されていました。

米原から2駅、田村駅の手前に交直接続のジャンクションがあり、471系交直両用急行電車や481系交直両用特急電車は車上切り替えで直通運転したものの、機関車牽引列車は蒸気機関車のままで残され、D50がその任務に就いていました。

駅や機関区の構内に雪が残る、1968年3月に米原機関区を訪問したとき、長野工場型切り欠きデフのD50131、標準型のD50200、D50201、D50249、D50300、D50350が写真に収まっています。緑のナンバープレートが美しく、何故かキリ番が多いですね。

D50249のデフには白い縁取りがあり、D50200とD50300のデフはD51のように角が切り取られていて、それぞれ特徴があります。

これらの中でD50201と、パイプ煙突にシールドビームのヘッドライトという似つかわしくないいでたちのD50350は休車となって側線で休んでいて、車体には雪が積もっています。D50350の前に少しだけ写っているのは暖房車でしょうか。

D50を休車に追いやったのは、電化に追われ山から下りてきた煙突に集煙装置を装備し、併燃用の重油タンクを備えた山岳装備のD51でしょう。機関区でのD51785ほか、駅でも数両のD51を撮っています。

2度目に米原機関区を訪問したのは、5ヶ月後の8月のことです。この時残っていたD50は、D50300と3月には見かけなかったD50334の2両だけ、交直接続の主役はD51に交代しています。

そのD51も、ヨン・サン・トーの国鉄ダイヤ白紙改正で無煙化されます。ターンテーブルには、あとを引き継ぐ電気式ディーゼル機関車のDD50と、当時最新型のDE10が乗っています。何故か、米原機関区のターンテーブルには架線も張られていて、EF65までもが。

その後、1974には関西と北陸を直結する湖西線が開通します。EF81型交直両用電気機関車が関西から北陸まで直通で列車を牽引し、米原経由は大きく本数を減らします。その3年後には、D50のあとを引き継いだ米原機関区のDD50も、交直接続の使命を終えます。

 

2008/9記

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