小海線

小海線の列車

小海線の想い出

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八ヶ岳高原号
C56
'71.11
清里

八ヶ岳高原号
C56
'71.11
清里
急行八ヶ岳
キハ58系
'71.2 清里-野辺山
八ヶ岳スケート号
C56
'71.2 清里-野辺山
普通気動車
キハ10系+キハ52
'72.10
野辺山
         
普通気動車
キハ52
'828 野辺山
貨物列車
C56
'71.2 
中込
C56と
10系気動車
'71.2  中込機関区
C56144

'71.2  中込機関区
貨物列車
C56
'71.2  中込
         
貨物列車
C56
'71.2  中込
トロッコ列車八ヶ岳号
DD16
'86.8
トロッコ列車八ヶ岳号
トロッコは車掌車
'86.8
普通気動車
キハ52
'88.8 小淵沢
普通気動車
キハ58
'88.8 小諸
         

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中央本線の小淵沢と信越本線(今はしなの鉄道になってしまいましたが)小諸をむすぶ、高原列車の小海線。海抜1,375mの日本の鉄道最高地点を通り、南アルプス、八ヶ岳、そして浅間山と移り変わる車窓は、春夏秋冬それぞれにすばらしい景色を楽しめる、本州では私の一番好きな路線です。

小海線は、私鉄の佐久鉄道を国が買収した路線で、建設時の単価を抑えたからでしょう、線路の規格が低く、1000分の33の急勾配がありながら、重量のある強力な機関車は入線できません。1970年代初期までの蒸気機関車の時代は、簡易線用に作られたC56型がディーゼル機関車に置き換わってからも、小型のDD16型が使われてきました。

今では、軽量車体に高出力のエンジンを搭載したキハ110系が、急勾配をもろともせずに快走していますが、かつての気動車は普通はキハ52系、急行はキハ58系のいずれもエンジンを2機搭載した型式が主体となっていたとはいえ、蒸気機関車や気動車の勾配に対する弱さをまざまざと見せつけられる路線でした。

信州は首都圏から近く、北アルプス、南アルプス、八ヶ岳等に日帰りで登山やハイキングが楽しめる山々が数多くあります。週休2日制が一部の企業にとどまり、自動車の普及率がまだ低く、中央高速もなかった1970年ころの中央東線には、休前日の夜には新宿からハイカーや登山客を満載した数多くの夜行列車が運転されていました。

定期列車は165系電車の急行アルプスと、飯田町客車区所属の旧型客車を電気機関車が牽引する松本経由の長野行き普通列車ですが、信濃森上や南小谷、松本行きなど何本もの臨時の急行アルプスや急行たでしなに混ざって、新宿駅を日付の変わった0時30分頃に発車する臨時の快速列車がありました。

電気機関車を先頭に、オハ35やスハ43に時にはナハ11などの軽量客車も組み込まれた10両程の旧型客車編成で、前は岡谷行きの“霧ヶ峰高原号”、後ろの3両は野辺山行きの“八ヶ岳高原号”です。

午前4時半頃に小淵沢に到着すると後ろ3両の客車が切り離され、“霧ヶ峰高原号”はそのまま行ってしまいます。長い停車時間の後、やがて前方からC56型蒸気機関車がバックでやってきて連結されます。汽笛一声、C56に牽かれた3両の八ヶ岳高原号はポイントをわたって小海線に踏み出します。

清里−野辺山間の国鉄最高地点に向けてすぐに始まる急勾配と、180度近くぐるっと向きを変える大カーブ。“高原のポニー”と呼ばれた小さなC56型蒸気機関車のドラフト音が耳に飛び込んでくるとともに、右側の座席に座っているとその動きがよく見え、眠気が吹き飛んでしまいます。

野辺山着が6時30分頃ではなかったでしょうか。今では、キハ110系の気動車が30分少々で登る23.4kmに2倍半の1時間15分程度を要していたのではなかったかと思います。

夜行で出かけたハイカーや登山客も、翌日の午後か夕刻には東京方面への帰りの列車に乗ります。上りの臨時列車の大半は、夜行ではなく、休日の午後から夜に運転されていました。折り返し、新宿行きの“八ヶ岳高原号”は野辺山を午後に発車します。国鉄最高地点に向けての上り勾配の直線をばく進したあとは、小淵沢に向けてひたすら勾配を下るだけです。

小海線のC56の基地は、中込機関区です。1970年頃には4両が配属されており、休日1往復の“八ヶ岳高原号”のほかは、定期列車としては貨物列車の牽引にあたっていました。

国鉄の動力近代化により、DD16型ディーゼル機関車が新製されると、1972年秋のダイヤ改正でC56はこれに置き換えられ、“八ヶ岳高原号”は廃止されたと思います。末期には、増収のためでしょうが、“霧ヶ峰高原号”も含め、車両も運転時間も変わらずに、急行“アルプス53号”と急行“八ヶ岳51”号の併結に格上げされていました。さすがに小海線内は急行に相応しい速度で走れないためか、小淵沢−野辺山間は普通列車として扱われていたと思いますが。

ディーゼル化後も、ファンの熱い要望に応えて、1973年に1両の客車に数量の貨車をC56が牽引する混合列車が復活運転されましたが、これも1シーズン限りだったと思います。

それから10年後。1982年に訪れた清里は、新しい建物と若い女の子で原宿状態となり、改築された野辺山駅舎を見て唖然。街はにぎわっても自家用車で訪れる人が大半で、小海線はタラコ色のキハ52と急行の座を降りたキハ58だけになっていました。

国鉄末期の1986年には、DD16型ディーゼル機関車が1両の旧型客車の前後に余剰となっていた貨車の車掌車を数量ずつ連ねたトロッコ列車“八ヶ岳号”を運転して、少しでも乗客を呼び込もうと努力がなされていました。1973年の復活運転の再来のように見えなくもありません。また、JR化と前後して、古いキハ52やキハ58の塗色変更によるイメージアップも行われました。

小海線の活性化には、JR西日本に残ったC56のラストナンバーC56160号機を使用した“八ヶ岳高原号”の復活が有効と思われますが、1973年のイベント列車での復活運転からでもすでに30年近くが経過し、設備面等からみても難しいのでしょうね。

2002/03記

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