交通科学館

交通科学館の車両

交通科学館の想い出

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1800型
蒸気機関車
 '67.5 交通科学館

C53型
蒸気機関車
 '67.5 交通科学館

C62型
蒸気機関車
 '67.5 交通科学館

   

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名古屋にリニア・鉄道館が開館するなど、今では日本でも各地に鉄道博物館的な施設ができていますが、1960年代のはじめまでは、戦前の鉄道省時代に鉄道博物館として開館し、現在の大宮の鉄道博物館に引き継がれるまで、東京神田で長く親しまれてきた、交通博物館が唯一の存在でした。

この東の交通博物館に対して、交通科学館は大阪環状線弁天町駅の隣接地に、1962年に開館しています。偶然ですが、すぐ隣をオレンジ色の101系電車が走っていたことが共通しています。

開館から5年目の交通科学館には、3両の蒸気機関車が入り口近くに屋外展示されていたようです。英国製の1800型は、今の東山トンネルや逢坂山トンネルが開通する前の、東海道本線が今の奈良線にそって迂回していたころの京都−大津間の勾配線区で使われた機関車だそうです。

3気筒の戦前型、特急“つばめ”のヘッドマークをつけたC53型45号機は、交通科学館の開館にあわせて1961年に国鉄鷹取工場で整備され、動態に復元された後に搬入されています。梅小路蒸気機関車館が開館して移動するまで、ここにいました。

特急“はと”のヘッドマークをつけたC6226号機は、山陽本線で活躍していましたが、1965年の電化のあとで廃車となり、JR化後に交通科学博物館と名前を変えた後も、展示車両の中で存在感を示しているようです。

C62の右に写っている客車は、後に動態復活する展望車マイテ49です。

この頃の弁天町へは、市営地下鉄4号線の6000型や、大阪港行きの市電に乗って来ることもできました。

2011/4記

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