高松琴平電鉄

高松琴平電鉄の車両

高松琴平電鉄の想い出

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瓦町
琴平線610号
'69.3

瓦町
長尾線35号
'69.3

屋島
志度線94号
'69.3

琴電志度
志度線37号
'89.9

瓦町付近
長尾線67号
'89.9

     

瓦町付近
870号と3000型
'89.9

瓦町付近
3000型と5000型
'89.9

瓦町付近
1000型120号
'89.9

瓦町付近
貨車改造の電車
'89.9

屋島ケーブル

'69.3

   

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四国に初めて渡ったのが1969年の春のことです。国鉄で宇野まで行き、そのまま宇高連絡船には乗らないでわざわざ宇高国道フェリーを使っています。従って
高松駅には立ち寄らずに、上陸後はまっすぐに高松琴平電鉄の高松築港駅へ。

当時のコトデンは、琴平線と志度線が1500V、長尾線が600Vと電圧が異なっていました。 それぞれ琴平電鉄、讃岐電鉄、高松電気軌道と別々の会社だった歴史によるのでしょう。3年ほど前の志度線昇圧までは、高松築港から3線が分岐する瓦町の間は複線のように見えるものの、今の高松築港方面行きの線路が1500V、瓦町方面行きの線路が600Vの単線並列というおもしろい運用がなされていたとか。

車両も当然、琴平線と志度線、長尾線では完全に分けられていて、今では残り少なくなった旧型車として人気の高い1000型や3000型、5000型の小型車も含め、琴平電鉄オリジナル車や国鉄の払い下げ車は1500Vの琴平線に所属していました。讃岐電鉄や高松電気軌道のオリジナル車の大半は引退しており、志度線では京急、長尾線では阪神の中古車が主力を占めていました。

京急や阪神といっても、今のもと京急1000型や旧600型、阪神のジェットカーではなく、大師電鉄から京浜電鉄が引き継いだ木造車の鋼体化や、ガラスの大きな貫通扉から喫茶店とよばれた阪神の880型小型車でした。

はじめの3枚の写真がこれらに該当します。琴平線の6000型610号は、木造国電の骨組みや屋根まで流用して自社で鋼体化したのでしょう。窓枠もそのまま流用したのでしょうか、もとの面影を色濃く残した木造車当時の小さな側窓です。二重屋根の室内側は中央部が高くなって、本来はこの部分の側面に細長い明かり取りの窓が付いているのですが、二段になった中央部を無視してシングル化して天井板を張ったため、車内は天井がやけに低かった印象があります。

長尾線の30型35は阪神の880型そのまま。低い位置に阪神当時の密着連結器を付けていて、他の型式とは連結できないようです。志度線のもと大師電鉄は、モハが10番台、クハが90番台を名乗っていました。正面5枚窓の木造車の京急120型を自社で鋼体化して貫通扉を設けていますが、屋根をそのまま流用しているため独特のカーブが残り、側面は木造車当時もままの窓配置、運転手さんが気の毒になるほど狭い窮屈な運転台のクルマでした。

20年後の1989年に再び訪れたとき、長尾線も1500Vに昇圧され、志度線も含め主力は同じ30型を名乗りながら、もと京急の230型に変わっていました。京急230型には16年ぶりの再会で懐かしさがこみ上げてきました。コトデンお得意の正面貫通式に改造された以外は、車体はそのまま。志度から瓦町まで、運転手さんの横のかぶりつき席に乗ったのですが、制御器は手動で一段ずつ進めていくHLに交換されており、加速の悪さと鈍足で走りにはかつての京急の面影はありませんでした。

志度線の行き先は高松築港になっています。今では瓦町の駅ビルの中で線路が切れていますが、これができるまでは昇圧が遅れた長尾線ではなく、志度線が瓦町でスイッチバックして高松築港まで直通していました。

長尾線で出会ったのは67号。国鉄仙石線の前身である宮城電鉄の木造車を、もとの形態のままで鋼体化した琴平線のクハ2000型を電装して長尾線に転用したときに、京急の中古車の追番で67にしたのでしょうか。最近、60年代の旧塗色に戻され、引退興行で人気を博しました。

瓦町の電留線をのぞくと、もと琴平線のオリジナル車3000型や5000型にならんで、山形交通を経てやってきた西武車870号がいました。この2枚窓は、電車の再生のプロ西武所沢工場の手によるものでしょうか。

その近くにおもしろい廃車体を見つけました。クハ11000型です。番号からみると琴平線でしょう。戦後の車両不足の時に、国鉄の有蓋貨車ワフ25000型に窓を開け、片隅に運転台を取り付けてなんと電車の制御車に化け、モハに連結されて走ったのだそうです。足回りは貨車のままで、余りの乗り心地に電車用の2軸台車に交換されたものもあったとか。

最後に1枚、屋島ケーブルをおまけに付けておきます。別会社の屋島登山鉄道ですが、琴電屋島駅近くの登山口駅から、今でもこの写真と同じレトロな車両が山上まで運んでくれます。

気動車の関東鉄道、路面電車の広島電鉄とならんで、かつては全国の中古電車の集まるいことでファンを楽しませてくれた高松琴平電鉄ですが、さすがに21世紀になるとまた中古車とはいえ冷房車の大量導入により旧型車の淘汰も進んできました。残りわずかになってきた旧型車の塗色が、この写真の60年代のチョコレート色とクリームの塗り分けに戻されるとか。喜寿を過ぎた電車がいつまでも元気で活躍してほしいものです。

2003/06記

 

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