根北線

根北線の列車

根北線の想い出

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根北線の終点越川駅に
 停車する網走行きキハ22
左の廃屋のような建物が駅舎
'69.8

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根北線といってもご存じの方は少ないでしょう。廃止されてから30数年になる道東の盲腸線です。釧網本線の斜里(現在の知床斜里)と12.8km先の越川を結び、途中には以久科と下越川の2つの駅がありました。

根北線は、知床半島の付け根を横断して、斜里と標津線の根室標津をむすぶ路線になるはずでした。第二次世界大戦による工事の中止があり、斜里−越川間の開業が1957年の新しい路線です。戦争中に作られたコンクリートのアーチ橋が今も残り、数年前に文化財に登録されたと聞きますが、これは越川から先の未開業区間にあります。

1968年頃だったと思いますが、国鉄の赤字の元凶はローカル線との考えのもと、全国83線区の廃止の答申がなされました。このときやり玉に挙がった路線も大半は1980年代まで生き延び、越美北線のように今でもJRの路線として存在しているものもありますが、根北線は当時営業係数が最悪。国鉄一の赤字線との烙印が押され、1970年に開通後わずか13年で早々と廃止されてしまいました。それから19年後には、根北線が接続することになっていた道東の長大ローカル線、標津線までが。

写真の、終点越川駅は単線片面ホームだけの駅で、まだ開通してから10年余りのはずですが、駅舎は廃屋のように荒れ果てていました。キハ22の向こうが斜里方向、手前の夏草の中に線路が消えていく方向に延長されるはずでした。

1969年当時、1日の列車本数は、朝と午後遅くと夜にそれぞれ1往復ずつの3本で、いずれもキハ22の単行。1往復は釧網本線の網走まで直通していました。また、土曜日だけは高校生の通学列車としてでしょう、午後の早い時間に1往復が設定されていました。

私は、北海道均一周遊券(後のワイド周遊券)を持っていたので、知床からの帰りに午後の列車で斜里から越川を往復し、越川発網走行きとなった列車に乗り通しています。ジャガイモ畑の中を走る、釧網本線の斜里から清里町方面の風景とあまり変わり映えのしない車窓だったと思います。他にも均一周遊券の乗客が数名いて越川で折り返して行きましたが、地元の乗客の記憶は残っていません。

2002/07記

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