江若鉄道

江若鉄道の車両

江若鉄道の切符

江若鉄道の想い出

最初のページに戻る



写真をクリックすると拡大写真が表示されます。

浜大津駅に
到着した上り列車
'67.5  
浜大津

キハ52 隣は
国鉄貨物駅
'68.8  浜大津
ロッド式の
DC251
'68.8 三井寺下
DD1351と
キハ23
'68.8 三井寺下
       
江若オリジナル車
キニ4
'68.8 三井寺下
キニ4の
菱枠型台車
'68.8 三井寺下
江若オリジナル車
キニ11
'67.5 三井寺下
国鉄払い下げの
キハ16
'67.5 三井寺下
       
留置線に
並ぶ気動車
'67.5 三井寺下
戦後唯一の新造車
キハ5120
'68.8 三井寺下
客車と
気動車
'68.8 三井寺下
古典客車の
なれの果て
'67.5 三井寺下
       
湖岸の松並木を
キハ23がいく
'69.9 近江舞子
キハに牽かれる
ハフ2は元は気動車
'68.8 真野
琵琶湖を背に
キハ21ほか
'68.8 真野
トルコン付き総括制御
貫通3両固定編成
'68.8 真野
 
車体を更新してバス
窓になったキハ12
'69.9 白髭
2列の蛍光灯を増設
したキハ12の車内
'69.9
白髭神社の鳥居と
キ二11
'69.9 白髭
トルコン付き総括
制御貫通3両編成
'69.9 近江今津
飾り付けをして待機する
最終日のキハ21ほか
'69.10 三井寺下
さようなら列車
キハ21ほか
'69.10 滋賀
さようなら江若鉄道
同大鉄道同好会
'69.10 滋賀
最後に滋賀−浜大津
間に乗車したキハ14
'69.10 滋賀
        

このページのはじめに戻る


   
廃止前日の乗車券 真野駅の入場券 料金3銭 運賃変更

 

C11型蒸気機関車の牽く古典客車と江若の看板気動車キハ5121他3連

このページのはじめに戻る



新幹線のような高架橋の上を、JR西日本の誇る特急“サンダーバード”が高速で駆け抜ける湖西線。関西と北陸をつなぐ太い動脈が開通して四半世紀が過ぎました。大津に近い沿線の宅地化も急速に進み、かつて琵琶湖の西岸に非電化の私鉄が走っていたことなど、今では想像もできなくなってしまいました。

江若鉄道(こうじゃくてつどう)は、その名が示すように近江と若狭をむすぶ目的で建設されました。上に示した“江若鉄道廃止記念乗車券”にあるように、会社のマークは近江のO(オー)の中に若狭のW(ダブリュー)を入れたものです。1921年に通称三井寺の名で知られる天台寺門宗の総本山園城寺そばの三井寺下から叡山まで開業し、湖岸に沿って順次路線を延ばしながら近江今津まで達し、大津側は湖岸の浜大津にターミナルを設けました。

目標とした若狭までの延長は達成できなかったものの、総延長50kmを超える路線と気動車を主体に多くの車両を保有し、一時期は東の関東鉄道、西の島原鉄道とともに日本の非電化の3大私鉄の一翼を担っていました。

一部の列車は京阪石坂線の複線の片側を3線化して、国鉄東海道本線の膳所駅まで乗り入れていました。浜大津−膳所間は、国鉄の貨物線を京阪が借用していたのだったかもしれません。 梅小路機関区の8620型蒸気機関車が牽く貨物列車も、膳所と浜大津の間に走っていました。

私は1967年から1969年の廃止まで、2年半の間に4回江若鉄道を訪問しています。 この頃、江若鉄道に在籍した車両をご紹介しましょう。廃止記念切符にはC11型蒸気機関車が描かれていますが、さすがに1960年代も後半になると、動力はディーゼルエンジンに統一されていました。

ディーゼル機関車は3両いました。当時の国鉄の入れ換え用DLの標準機種であるDD13型とほぼ同様の形態で、DD1351号機はヘッドライトが1つの旧型、後から増備したDD1352号機は2つ目の新型で、いずれも江若鉄道が新造したものです。DD1351号機は国鉄のDD13より導入が早く、そのモデルとなったとか。

国鉄から入線してくる貨物列車のほか、朝の上りと夕方の下りの主要駅以外通過の客車列車の牽引には、このDD13があたっていました。もう1両、ロッド式の小型機DC251が廃線になった熊本県の熊延鉄道から移籍してきて、貨車の入れ換えに使われていました。

旅客列車の主力はディーゼルカーです。エンジンをおろしてディーゼルカーに牽かれる客車になったものも含め、かつては2から23まで続き番号となっていました。 いずれも第二次大戦前の生まれです。

ハフ2は、千葉県営鉄道を引き継いだ成田鉄道のガソリンカーを客車化したもので、江若のガソリンカーやディーゼルカーを客車化したハフ3やハフ7、ハフ8とともに、いつもディーゼルカーの後ろにぶら下がって、2両編成で走っていました。

1931年の近江今津まで開通時に江若鉄道が新造したキニ4〜6は、後れて登場する鉄道省(後の国鉄)のガソリンカーを上回る大型で立派な車両です。側面はステップを付けた客用の2扉の他に、片方の運転台脇にステップ無しの荷物用扉をもっています。国鉄の型式で言えばキハニになります。

増備車のキニ9〜13は、正面が京阪の連接車60型びわこ号によく似た流線型になっており、今津側の正面横には太くて目立つ排気管が立ち上がっています。キニ10は客車化されて貫通扉を設け 、荷物扉は廃止してハフ5010になり、キ ハ12は更新でノーシル・ノーヘッダのバス窓で荷物扉は無くなっていました。

キハ14〜17は、国鉄の機械式気動車キハ41000(後のキハ04〜06)の払い下げを受けたもので、キハ17だけは車内が畳敷きのお座敷気動車に改造されました。キハ18〜24は同じく国鉄の流線型気動車キハ42000(後のキハ07)の払い下げでした。

番号が飛んで、キハ30は台車は菱枠型の中古ながら戦後唯一の新造車です。1963年に東海道本線向日町の線路脇にあった大鉄車両で生まれた正面貫通式、側面はHゴムのバス窓にアルミサッシの、当線ピカイチの車両です。

正面が湘南型2枚窓のキハ51と52は戦後生まれ、廃止になった熊延鉄道からの移籍組で、江若鉄道最後の増備車です。

キハ30を除く気動車は全て機械式でした。発進から加速時は、バスのように運転手がクラッチを踏んでギヤを切り替えます。2両編成時はエンジンのないトレーラを牽引するため運転手は1人ですが、3両以上になると各動力車に1人ずつの運転手が乗り込み、先頭の車からのブザーの合図で発進、ギヤチェンジのタイミングをそろえていました。

1960年代も半ばになり、乗客が増えラッシュ時に増結をするようになるとこれでは大変です。キニ6とキハ24を液体式に改造し、正面に貫通扉を設けその両脇の窓上にシールドビームの前照灯を2灯配置し、側面には乗務員室扉を設けてキハ5123と5124に改番し、キハ30改めキハ5120と3両の総括制御が可能な編成が生まれました。

もう1本、流線型のキハ18と19も液体式に改造し、片側を切り妻貫通式にして間にハフ5010を挟んだ3両の総括制御が可能な編成もできました。この2本が江若鉄道の看板列車で、後者はシールドビーム2灯のヘッドライトも凛々しく、快速のマークを付けた姿が廃止記念乗車券を飾りました。

DD13に牽引される客車は、国鉄払い下げの明治時代の古典客車の台枠を流用して大鉄車両で新造した、ナハ1957〜1960の4両がラッシュ時に働いていました。両端はひさし付きの2枚窓、中間には貫通扉がついています。

この他、写真にはありませんが、国鉄の初期の鋼製客車オハ31系の2等車(今のグリーン車)であるオロ27を、転換式クロスシートの車内設備そのままで格下げしたオハ27の払い下げが3両いました。

気動車の塗色は、琵琶湖の対岸を走る国鉄の北陸線直通急行電車471系と同じ、上下がピンクで窓まわりがクリーム、車体の裾には交流60Hzを示すクリームのラインまでそっくりに真似ていました。客車はダークグリーン一色だったと思います。

こうして、順調に輸送力を伸ばしてきた江若鉄道ですが、並行して国鉄湖西線の建設が決まると買収されるかたちで、1969年11月1日には廃線となる運命が待っていました。 比較的廃止の時期が早かったため、各地の中小私鉄に再就職先を見つけた幸運な車両も多くありましたが、今ではそれらの多くの鉄道とともに全車廃車となっています。

1969年の10月も末になると早々と他社に譲渡される車両の搬出が始まり、残った車両の何両かは造花で飾られ、ヘッドライトの脇に日の丸と社旗を掲げて、沿線の人々にお別れを告げました。

国鉄湖西線が開通するのは、それから5年近く後のことです。

このページのはじめに戻る


最初のページに戻る

inserted by FC2 system