神戸市電

神戸市電の 車両

神戸市電の想い出

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大倉山
500型3扉車
'68.4

元町6丁目
500型3扉車
'68.4

大倉山
500型ワンマンカー
'68.4

大倉山
700型
'68.4

       

相生町1−湊町4
700型
'68.4

神戸駅前
900型
'68.4

神戸駅前
1150型
'68.4

     

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瀬戸内海と六甲山系の間で東西に長く広がる神戸の街。阪急は三宮、阪神は元町、山陽は兵庫止まりで、東西を結ぶ鉄道が国鉄だけだった時代にが神戸市電の全盛期でした。

西の終点須磨駅から市電を乗り継ぎ、脇浜町(東神戸)で阪神国道線、野田で北大阪線、天六で大阪市電に乗り継げば、神戸の西から大阪の守口市まで、何時間もかけた路面電車の旅も可能でした。

神戸市電に大きな転機が訪れたのは、神戸市も出資する第三セクター神戸高速鉄道の開通でしょう。阪急三宮、阪神元町から高速神戸で合流して山陽の西代を地下で結ぶ本格的な地下鉄です。1968年4月7日の開通の2週間後から市電の廃止が本格化しました。

そんな神戸に、市電の乗車と撮影に訪れたのが1968年4月29日の天皇誕生日です。 電車の屋根上に日の丸の小旗が立っています。サクラカラーのポジフィルムは、35年が経過して退色がひどくフォトレタッチソフトでの修正にも限界があるのですが、色ががおわかりいただけますか。

この一週間前に三宮阪神前から脇浜町方面ほか一部の路線が廃止になって、系統も整理されていました。この時点で大阪市電から譲渡された車両が廃車になったようですが、神戸のオリジナル車の多くはまだまだ健在で、ワンマンカーより車掌さんの乗務する電車の方が多かったように思います。

神戸市電は西鉄と同様に、一部の新しい車両と改造車を除く多くの車両のドアが、バスのような折り戸を採用しているのを珍しく思いました。

1920年代につくられた大型3扉車の500型は両端が折り戸、中央の扉のみ両開きの引き戸で、戸袋窓が丸窓の車両もありました。更新で前と中の2扉の引き戸と2段上昇窓に改造された500型は、黄色の帯を巻いてワンマンカーになっていました。市電全廃後は1100型、1150型のワンマンカーとともに広島電鉄に引き取られ、一部は30年以上を経た今でも残っています。車内の照明が幕板に取り付けられたスズラン灯で、その優美な姿は広島で冷房改造を受けるまで残っていたのではなかったでしょうか。

1930年代後半に製造された前後2扉の700型は、窓が大きく軽快な神戸市電のスタイルを確立した型式で、登場時は転換クロスシートを備えたロマンスカーだったとか。1950年ごろに750型としてほぼ同型のクロスシート車が登場していますが、両車ともこの頃にはロングシートになっています。

輸送力が逼迫した第二次大戦の前後の1940年代に登場した800型、900型、1000型は、700型を引きのばして大型3扉化した車両ですが、この頃には中央扉は埋められて前後扉となり、一部はワンマン化時に前と中扉に改造されています。

神戸市電に最後に花を咲かせたのが1950年代中頃に登場した1100型と1150型です。上段の窓がHゴムのいわゆるバス窓になり、扉は前と中の引き戸、新型の台車をはき、1150型の方は間接制御にカルダンドライブの高性能車でした。でも、その高性能を発揮できず、大阪市電の廃車の部品流用でしょうか、直接制御に板バネの旧型台車という惨めな姿になったまま、広島電鉄に引き取られていきました。

1971年に全廃されてから30年以上が経過した今でも、一部の車両が大阪や京都から移籍した車両とともに、広島に健在なのは嬉しいことです。

2003/02記

 

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