木次線

木次線の列車

木次線の想い出

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キハ58系2連の
急行“ちどり”
'90.3 出雲坂根

キハ58系2連の
急行“ちどり”
'90.3 出雲坂根

交換した普通列車は
塗り分けのキハ52
'90.3 出雲横田

広島行き急行
“ちどり”と最後の交換
'90.3 出雲三成

駅員さんと
タブレット交換
'90.3 木次

キハ58系2連の
急行“ちどり”
'90.3 玉造温泉

公園に保存された
C56131
'90.3 松江市内

     

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山陰本線の宍道から山に分け入り、出雲坂根のスイッチバックをこえて芸備線と接続する備後落合に至る木次線。出雲横田−備後落合間は、今では土日祝日運転のトロッコ列車を含めても1日4往復、平日はワンマン1両のキハ120が3往復のみの超閑散路線ですが、陰陽連絡の急行列車が走る路線だった歴史があります。

高速道路が無く、一般道の整備も遅れていた1960年代後半には、山陰本線、木次線、芸備線経由で鳥取−広島間の急行“いなば”、米子−広島間には急行“第一ちどり”に加え、夜行の急行“第二ちどり”と、急行列車だけで3往復がありました。“いなば”は2等指定席だけですが“ちどり”は1等と2等の指定席を連結していました。

また、朝夕の通勤時間帯には、C56の牽引する旅客列車もあり、木次から松江まで乗り入れていました。 冬には、広島方面からのスキー客を運ぶ臨時急行“三井野原銀嶺”も運転されていました。

伯備線の布原でD51の3重連をはじめとする列車の撮影を終えた夕刻、信号所から芸備線三次行きの最終列車に乗車し、三次駅で駅寝の状態で夜行の急行“第二ちどり”を待ち、3時50分に乗車したら5時にはもう広島に到着、そのまま呉線の始発で坂駅に向かった記憶があります。

その後も、出雲坂根のスイッチバックを経験したいと思いながらも機会が無くそのままになっていましたが、1往復残っていた急行“ちどり”が、1990年3月のダイヤ改正で備後落合以北が廃止され、木次線から急行列車がなくなることになりました。最終日、出張の仕事を終えて浜田のビジネスホテルに宿泊していた私は、山陰本線の始発列車で石見江津から三江線を経由して三次に出て、“ちどり”を待ちました。

やってきたのは小さなヘッドマークを付けた国鉄色のキハ58系2両編成。備後落合を発車して木次線にはいると、車掌さんから本日で急行“ちどり”のこれ以降の区間が廃止になるとの案内 放送がありました。

のんびり急行は、スイッチバックを降りた出雲坂根でしばし休憩。雪の残る中、乗客はホームの延命水を求めて下車します。出雲横田では、クリームとオレンジの国鉄オリジナル色のキハ52128と交換です。当時は、この塗色は山陰に1両のみで人気者でした。

出雲三成では下りの広島行き急行“ちどり”と最後の交換をします。木次駅では、タブレット交換。列車の向こうには腕木式の信号機がガチャンと降りて、出発を示しています。車外に出てこんな写真を撮っている余裕があったようですね。

宍道で山陰本線に入ると電化区間となり、線路状態もよくなってやっと急行らしい速度で走るようになりますが、私は次の玉造温泉で下車して、松江を経て米子に向かう最後の急行“ちどり”を見送りました。

急行“ちどり”がディーゼル化される前には、木次線内をC56が牽引する快速“ちどり”が走っていたそうです。松江市内の公園で、“ちどり”のヘッドマークをつけたC56131が保存されているのを見つけました。でも、このC56は飯山線で活躍し、末期に三江線に転属して山陰にきた車両で、当時の快速“ちどり”牽引機ではなさそうです。

2011/5記

 

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