近畿日本鉄道

近畿日本鉄道(近鉄)の車両

近畿日本鉄道の記念入場券

近畿日本鉄道(近鉄)の想い出

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名古屋線の普通車
6441型の2連
'67.7 
弥富付近

かつての奈良線特急車
860型の2連
'87.8 伊賀上野
橿原線の小型車
600型の4連
 '69.11 西ノ京
もと奈良線のエース
800型の4連
 '69.11 西ノ京
京都−賢島直通の
複電圧車18200型
'
69.11 西ノ京
 
京阪に乗り入れた
もと奈良電の430型
'68.12 
五条
大阪線の荷物車
モワ1800型
'68.1
布施
奈良線の大型車
旧塗色の8000型
'68.1 鶴橋
奈良線の急行
8000型の4連
'68.1 鶴橋
近鉄の看板電車
新ビスタカー
'68.1 鶴橋
       

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万国博覧会Expo'70開幕にあわせて
上本町−近鉄難波間開通時の記念入場券
 

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近畿日本鉄道は多くの私鉄が合併を重ねて成立した、日本最大の私鉄です。線路の幅一つを取り上げても、新幹線と同じ標準軌とJRの在来線の狭軌、さらには三重電鉄から引き継いだ路線には762mmの超狭軌まであります。

車両は、有料特急と一般車に大きく別けることができ、今では一部を除き20mの4扉車に統一されていますが、ここでごらんいただく1960年代の後半では、出身線区別、あるいはそれらが転用されて、各線で特長のある電車が運行されていました。

名古屋線の6441型は20m車ながら3扉、ヘッドライトも1灯の過渡期の車両で、わずか2両の編成で走っています。

奈良線は1964年の新生駒トンネルの開通により、900型や8000型の大型車が奈良まで乗り入れるようになっていました。このころ、ダークグリーンの旧型車やクリームに青帯の 新型車の塗色から、マルーン一色の標準色への塗り替えが進んでいました。

大阪−奈良の急行の看板をつけた8000型はまだ4連で、大阪は上本町のことです。1969年に奈良線が600Vから大阪線と同じ1500Vに昇圧し、 万国博にあわせて翌年には難波新線が開通しています。

スナックカーが登場していたとはいえ、近鉄を代表する特急車はニュービスタカー。名阪特急や伊勢志摩特急に活躍する2階建て車両は、当時の日本ではとても珍しい存在でした。

大和八木に連絡線を設けて、600V時代の京都・橿原線と1500Vの大阪線 を接続し、京都から賢島まで直通の特急を走らせる目的で、複電圧車の18200系がデビューしたのが1966年頃だったでしょうか。大阪線に比べて車両限界の狭かった京都・橿原線にあわせてスリムな電車でした。青空II世となって団体用として生き残っています。

京都−西大寺間の京都線は、1928年に奈良電鉄として開業した路線を1963年に合併したものです。合併後も、深い屋根に1段下降窓の昭和初期の電車の特徴をよく伝える奈良電開業時のデハボ1000型、後の近鉄 モ430型が主力として活躍していました。

丹波橋では京阪電鉄と相互乗り入れを行い、近鉄のモ430型による奈良から三条行き、京阪の流線型1000型等による宇治から近鉄京都行きが運転されていましたが、1969年の近鉄側の1500V昇圧で廃止され、14年後に京阪も昇圧したものの復活はありませんでした。

京都・橿原線の昇圧で、一部を除き奈良電の引き継ぎ車は廃車になり、昇圧改造を受けた大型車導入前の奈良線のエース800型や820型が急行に、4両固定編成化され2丁パンタになったもと奈良線の小型車600型が普通運用に入っていました。ビスタカー等が京都・橿原線に乗り入れるのは、車両限界が広がったあとのことです。

1968年の地平時代の布施駅大阪線(だったと思います)で変わった荷物電車を見かけました。正面5枚窓にダブルルーフの木造車です。近鉄のルーツである大軌、大阪電気軌道が今の奈良線を開業した時に用意した木造車デボ1型、後のモ200型によく似ていますが、窓の角にRがなくガーランドベンチレータのため、増備車のデボ61型、後のモ260型を鋼体化したときに余ったを改造したのではないかと想像します。

京都・橿原線の昇圧時に、もと奈良電のモ430型の一部が荷物車に改造されて生き延びているので、大軌の生き残りもこの時までだったのかもしれません。

車両の近代化はローカル線にも及び、伊賀線にかつての奈良線の特急車820型の車体と、南大阪線のラビットカーの台車を組み合わせた860型が登場しました。ローカル線に適当な車両だったのでしょう、あとから登場して820型を追いやった900型や8000型等の20mの大型車が廃車になる中、冷房改造を受け忍者の衣裳をまとった860型が健在なのは嬉しいことです。

2004/06記

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