京浜急行電鉄

京浜急行電鉄の電車

京浜急行電鉄の記念乗車券

京浜急行電鉄の想い出

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空港線の
460型
'82.6 穴守稲荷

穴守稲荷−羽田空港
間は単線区間
'82.6 穴守稲荷
穴守稲荷の留置線
460型
'82.6 穴守稲荷
単線区間の吊かけ車
460型
'82.6 羽田空港
空港線の終点に
停車中の460型
'82.6 羽田空港
雪晴れの日
800型
'84.2 大森海岸
雪を乗せ都心に向かう
1000型
'84.2 大森海岸
1000型分散クーラ車と
都営5200型の出会い
'89.6 新馬場
京急90周年記念
塗装の2000型
'89.6 新馬場
高架切り替え工事区
間を行く1500型1次車
'89.6 大森海岸
1000型分散クーラ
車の特急
'89.6 大森海岸
1000型集中クーラ車
白幕の快速特急
'82.6 京浜蒲田
       

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三崎口まで延長したころはまだ窓口で硬券が販売されていた

1975年の三浦海岸−三崎口間延長開業の記念乗車券
600型冷房改造車と1000型新造冷房車の写真が
2枚ずつの4枚セットになっていた 特急マーク付

1981年になると朝のラッシュ時に通勤快速特急の運転が始まり品川まで
私鉄最長の12連が乗り入れた B5サイズの大きな記念乗車券で、角度
をずらすと1000型と600型が入れ替わって見える構造になっている うっす
らともう一つのパンタグラフが見えるのは、裏に隠れている600型のもの
 

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国電や大手の私鉄にはあまり興味がなかったので、残っている写真はわずかです。東京の電車はあまりにも日常的すぎたことと、1970年代になると国電や大手の私鉄は立派な電車 (といっても新車の多くは20m4扉ロングシートの趣味的には魅力のないもの)だけになり、面白いと感じなかったからでしょう。

そんな中 で、京浜急行電鉄だけは品川−久里浜間の快速特急の一部に2扉クロスシートの600型(先代の600型です)を使い、ダイナミックな走りを見せてくれたものの、これとて関西の阪急や京阪の転換クロスシートに比べれば、狭くて貧弱なものでした。関西のレベルを超えたのは、現在の主力車の2100型になってからでしょう。

京浜急行の本線は品川−浦賀間ですが、1968年の都営地下鉄に乗り入れるころには、優等列車は久里浜線に直通し、実質的にはこちらが本線です。久里浜から先、油壺を目指して野比、津久井浜、三浦海岸と小刻みに開業を繰り返し、現在の終点三崎口に到着したのが1975年のことです。

この頃、時々三崎に行く機会があったのですが、それまでの三崎東岡行きのバスへの乗り換えが三浦海岸から三崎口になったものの、所要時間は余り変わらず便利になったとも思えず、油壺への延長が待ち遠しいと思って30年が過ぎようとしています。

開業直後の乗車券が残っていました。当時、三崎口から240円で乗ることができた区間は横浜まででしょうか。まだ券売機は無かったのでしょうね。窓口で販売された硬券です。

この頃は、まだ本線に230型も残っていたのに、残念ながら京急の写真は1枚も残していません。その代わりに、当時の電車を三崎口開業の記念乗車券でお目にかけます。当時の主力車600型と1000型の特急三崎口行きが2枚ずつの4枚組で、その1枚をご覧いただきます。正面の窓下に特急の看板を掲出していたのですね。

今でもそうですが、京急は商品であるダイヤの改善を頻繁に行う会社です。年に2回の改正の他に、快速特急大増発の夏休み海水浴ダイヤもありました。1981年6月のダイヤ改正では、朝のラッシュ時に私鉄最長の12両編成が、通勤快速特急として初めて品川まで乗り入れました。

このときに発行されたB5サイズの大きな記念乗車券に、京急の力の入れ方がうかがわれます。通勤快速特急に使用される1000型12連と600型12連が、見る角度によって交互に浮かび上がるユニークなものです。

新しい空港ターミナルビルの地下に乗り入れ、都心方面からと横浜方面からの直通車が頻繁に走り、京急のドル箱となった空港線。1980年代はじめまでの空港線は、京浜蒲田−羽田空港間の区間運転に京急で一番古い車両が3両編成でのんびりと余生を送る路線でした。

京浜蒲田(今の京急蒲田)の1番線から第一京浜の踏切の先までは、今でも単線ですが、当時は末端区間の穴守稲荷と羽田空港間も単線でした。羽田空港駅は空港の敷地まで到達しておらず、線路は海老取川の手前の住宅密集地で終わっていました。

駅前の細い道には、蒲田や川崎などと空港を結ぶ路線バスも入ってこれません。羽田空港と書かれた行き先を信じて、知らずに空港線に乗った飛行機の利用客は、空港駅に降りて途方に暮れたものでした。後に、この道に入れるマイクロバスが開通して、わずかな乗り換え客を沖合移転前の昔の空港ターミナルビルまで運ぶことになります。

写真の空港線の電車は、吊かけモータの460型です。車体は正面2枚窓の3扉で、初期の1000型の登場時のスタイルにそっくりです。京浜川崎−逗子海岸間のD急行に使われていたものが、1000型や1500型の増備に追われて、中間のサハを1両抜いて3連となって空港線で最後のおつとめです。

1989年は、京急の前身の大師電気鉄道が開通して90周年です。折しも新馬場−大森海岸間の上り線が高架へ切り替え工事が行われており、平坦線の青物横丁から高架の新馬場へ、看板車両の2000型の記念塗装車が登ってきました。

この頃になると、空港線は800型の3連に置き換わり、吊かけ車460型やそのあとを引き継いだ500型も既に無くなっていました。最大勢力を誇る1000型にも初期車の廃車が始まっていましたが、今では残り少なくなった分散冷房車もまだまだまだ特急の主力として活躍していました。

2004/02記

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