鹿島鉄道 |
石岡 |
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常磐線の石岡と鉾田をむすぶ鹿島鉄道は、1924年に鹿島参宮鉄道として石岡〜常陸小川間が開業し、1929年には鉾田まで開通したそうです。社名にあった鹿島神宮に はたどり着けずに現在に至っています。後に、佐貫−竜ヶ崎間の竜ヶ崎鉄道を併合し、1965年にはすでに常総筑波鉄道と合併し、路線延長122.9kmの日本一の非電化私鉄、関東鉄道の鹿島線となりました。
常磐線沿線に起点を持つ関東鉄道の中で鹿島線は東京から一番遠く、東京通勤圏に組み込まれた常総線が複線化、長編成化で大きく発展し、竜ヶ崎線もそれなりに健闘する一方で、赤字の 鹿島線は1979年に鹿島鉄道として、筑波線とともに分離されました。
筑波鉄道は1987年に廃止されましたが、鹿島鉄道は分離後20数年を経た現在まで輸送を続けており、90年代には4両の新車も導入して体質の改善をはかるなどの努力が重ねられてきました。
鹿島鉄道の車両基地は、常磐線への接続駅である石岡駅に隣接しています。ここを訪ねた1987年はまだ気動車は新車の導入前で、国鉄や廃止された他の私鉄からの譲渡車で運用されていました。
この時石岡にいて今では現役を退いた車両は、北海道の三井芦別鉄道の旅客輸送の廃止に伴い転入してきた湘南型マスクのキハ711〜713、国鉄キハ41000型を片運転台化して連結面を貫通化のうえ2両固定編成化し、運転台側の正面を2枚窓にしたキハ410と411です。
その他の、もと国鉄キハ42000のキハ601と602や、加越能鉄道出身のキハ431と432、三井芦別から遅れて入線した同じスタイルの夕張鉄道唯一の生き残りのキハ714など、貴重な車両が健在なのはうれしいことです。
1979年の国鉄の貨物の合理化をきっかけに、多くの私鉄で貨物輸送が廃止される中、自衛隊百里基地への燃料輸送にその後も継続してディーゼル機関車が活躍してきました。私が訪問した1978年には、国鉄の入れ換え用の標準機DD13のベースとなったともいわれるDD901号機や、DD13型そのものの関東鉄道グループ唯一の新造機DD902がいましたが、その後は国鉄からの払い下げのDD13型に交代したようです。
そのDD13型も燃料輸送がなくなったため失職し、2003年4月にはお別れ運転ののち鹿島鉄道を去ることになったそうです。2001年12月には沿線の市町村を母体に鹿島鉄道対策協議会が設けられ、鉄道の存続索が模索されています。
1987年の夏に関東鉄道の竜ヶ崎線と一緒に鹿島鉄道を訪問したのですが、鹿島鉄道は石岡に車両基地があるためここで許可をもらって留置されていた車両を撮影しただけで、まだ一度も乗車していません。東京から近いためにいつでも行けると思って16年が経過しました。
タタン・タタンと軽快なジョイント音を響かせる菱枠型の台車をはいた、今では貴重な存在となった気動車が現役で活躍する鹿島鉄道にぜひ今度は乗りに行きたいと思っています。
2003/4記
※ 鹿島鉄道は2006年に廃止されました。