津軽海峡線

津軽海峡線の列車

津軽海峡の想い出

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ED79の牽引する快速“海峡”号
 まだホームの後方に連絡船乗り
場の面影が残る函館駅 '89.11

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1969年に初めて北海道に足跡を印して以来、幾度となく渡った津軽海峡の青函連絡船。列車が青森や函館に到着する前に車掌さんが配る乗船名簿も、下車したホームから連絡船乗り場へのスタートダッシュも、出帆時の銅鑼の音も、食堂のイカづくし定食も、国鉄がJRになった翌年、1988年の青函トンネルの開通により想い出の彼方に行ってしまいました。

国鉄最期の1987年3月の金曜日、出張の仕事を終えたあと夕方の飛行機をキャンセルし、駅前のビジネスホテルにもう一泊しました。翌朝の連絡船で帰ろうと思いたったからです。土曜の朝の便は、現在函館に保存されている摩周丸でした。

1988年の廃止時には大ブームを巻き起こした連絡船も、その1年前の国鉄が終わりをつげようとしているこのときは、乗客が少ないため後部の船室は閉め切られたままの 寂しい航海でした。

青函トンネルの開通時には、改造ながら新形式ED79型の専用電電気機関車が用意され、これまた改造車ながら寝台特急北斗星や快速海峡が走り始め、青森−函館間の旅客や貨物輸送は大幅に伸びました。

世界最長の青函トンネルを通ってみたいと思い、開通から1年半ほど経過した1989年の秋に函館に出張した帰り、前日に、飛行機をキャンセルして海峡の指定券を買い求めました。客車は内地の50系に対寒装備や冷房を搭載し、シートを初期の新幹線0系の転換式クロスシートに交換した車両で、当時は長い編成です。でも、改造車だけあって、指定された席は窓の太い柱の位置。でも満席のため眺めのよい席に代わることもできません。

通称津軽海峡線は、木古内までは江差線。津軽海峡に沿って海が見えます。かつて、1970年代にキハ21の急行“えさし”や急行“まつまえ”で、それぞれ終点の江差や木古内から分かれて松前まで乗っているのですが、残念ながら写真は1枚も残していません。

青函トンネルと時を同じくして開通した瀬戸大橋線の展望のすばらしさが、あまりにも印象深かったため、青函トンネルのつまらなさにはがっかり(何も見えないのだから期待する方が間違っています)。飛行機の高いキャンセル料と青森の1泊のホテル代ですっかり損をした気分になってしまいました。その後は、北海道に渡るときはいつも飛行機を使っています。

津軽海峡線も、今では利用客の落ち込みがひどく、連絡船の末期を下回ってしまったそうです。ドラえもんのキャラクター列車で子供の気を引くなどの努力だけでは限界があるのでしょう。そんな中、東北新幹線の八戸延長にあわせて、快速海峡が廃止されてしまいました。特急料金を付加して少しでも収入を増やそうとしているのでしょうが、夜行寝台を除けば貴重な機関車牽引の客車列車だっただけに残念です。

東京から青森までの時間が短縮されたので、いつか時間に余裕のあるとき、青函連絡船の面影を求めて青森−函館間のフェリーを利用してみたいと思っています。

 

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