飯田線

飯田線の列車

飯田線の想い出

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豊川行は
80系300番台
豊橋 '82.8

辰野行の最後尾に
荷物電車クモニ83
豊橋  '82.8

クハ68を先頭にした
辰野行
豊橋  '82.8

セミクロスシートの
旧型国電の車内
豊橋  '82.8

 国鉄色の119系
天竜峡行
飯島 '87.10
         

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天竜川に沿って、東海道本線の豊橋と中央本線の辰野を結ぶ飯田線は全長196km、第二次世界大戦中に、
豊川鉄道、鳳来寺鉄道、三信鉄道、伊那電気鉄道の私鉄4社の路線を国が買収して成立した路線です。戦後国鉄になってから、4社から引き継いだ車両、いわゆる買収国電は、順次東京や大阪等から転入してきた国鉄型の電車に置き換えられていきました。

比較的混雑度が高くなく、また路線の延長も長いためか、多くは戦前型の2扉または3扉のセミクロスシート車で、73系のような4扉車は導入されず、ロングシート車もわずかでした。他の多くの私鉄買収線区と同様に、い駅間距離が短かく、普通列車は丹念に停車していくため、全線を直通する列車の所要時間は6時間から7時間半を要していました。

優等列車といえば、名古屋から豊橋経由の準急(後に急行)「伊那路」が80系湘南型電車(後には165系電車急行型)で、中央線からの準急(後に急行)「天竜」や「赤石」等が急行型気動車で、中央線や篠ノ井線の電化後は165系電車急行型で入線していました。

クモハ52やクモハ54、クハ68等の戦前製の旧型国電は、横須賀線と同じ青とクリームの塗り分けで、郵便荷物輸送もあったため、一端に運転台側の半室が郵便室と荷物室になったクハユニ56や、独立した荷物電車のクモニ83を連結した編成もありました。

クモニ83は、改造前のクモユニ81の時代から80系湘南電車の一員ですが、他の旧型国電と塗色を揃えてスカ色に塗られており、70系横須賀線電車の面影を伝えていました。

写真の豊橋駅では、発車前の列車の最後尾の車両またはその前の線路に、発車時刻を入れた行き先札を掲げていました。

1980年代にはいると国鉄全線で旧型国電の淘汰が進み、飯田線でも豊橋口の4両編成の運用が80系湘南電車の中で最も新しい全金属製車体の300番台に置き換えられました。その後、戦前型の運用は飯田線の北部に限定され、旧型国電置き換え用の1M方式の新性能電車119系の登場により、80系も含め吊りかけモーターの旧性能の電車は一掃されます。

私が飯田線の全線を走破したのは、JR化直後の1987年秋のことです。旧型国電には魅力はあるものの、あの堅くて狭いシートに長時間の乗車は厳しく、躊躇している間に引退してしまっていました。

関西からの帰りに新幹線を名古屋で途中下車して豊橋までを大回り、青春18切符を使って塩尻経由で辰野へ、天竜峡まで青い119系に乗車して、その後普通電車の運用に入っていた165系に乗り継いで豊橋に向かった記憶があります。

2006/11記

 

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