井笠鉄道

井笠鉄道の 車両

井笠鉄道の想い出

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井笠鉄道の小さな気動車ホジ100型と貨車 笠岡 '68.2

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井笠鉄道は、今では岡山県の瀬戸内海側の西部と広島県福山市周辺に路線を持つバス会社ですが、1971年までは線路幅762mmのナローゲージの鉄道線を経営していました。

井笠鉄道に出会ったのは、1968年のことです。国鉄山陽本線の普通電車(80系湘南型でした)が笠岡駅に停車したとき、向かいのホームに赤に白帯の小さな気動車が停車していました。その後ろには、さらに小さな貨車が1両。

井笠鉄道の路線には、笠岡から 井原に至る本線、本線の北川から分かれて矢掛に至る矢掛線、井原から福塩線の神辺に至る神辺線がありましたが、矢掛線と神辺線は前年に廃止されており、このとき残っていたのは、本線だけです。

写真のホジ100型気動車は、同型のホジ1型とともに井笠鉄道の主力車。正面2枚窓に側面は上段がHゴム支持のバス窓の日本車輌標準型ですが、乗務員室扉も付いた本格派です。1950年代 の後半から60年代にかけて、各地に まだ残っていたナローゲージの鉄道が、がんばって新造車を製造していた頃の作品です。

井笠鉄道では、気動車の単行や、気動車が小さな木造客車をひく列車が運行されていましたが、この写真の3年後には 本線も廃止となります。

井笠鉄道に出会ったのはこのときが最初で最後、乗車する機会が無かったのですが、その後この気動車に牽引されていた客車に乗車する機会ができました。1972年頃だったでしょうか、ナローゲージのおとぎ電車、西武鉄道山口線に、井笠鉄道の蒸気機関車と木造客車を活用して観光用の蒸気機関車の牽く列車が登場しました。

蒸気機関車は井笠鉄道から台湾の製糖鉄道に交代したものの、客車は引き続いて使われ、 西武が九州からライオンズを買ってきて、所沢球場がホームグラウンドとなるとき、山口線の輸送力増強のため新交通システムに置き換わるために休止になる、1984年 までに2度乗車する機会がありました 。残念ながら写真は残っていません。

さらに80年代になって、茶屋町−児島間の廃止後、児島−下津井間のみ残ったナローゲージ下津井電鉄の終点、下津井の車庫を訪問した時、側線の奥に井笠鉄道の気動車を見つけています。 上の写真のホジ100型の前のタイプ、ホジ1型の3号です。下津井電鉄は全線電化していたので、営業運転には使われることは無かったでしょう。

井笠鉄道の路盤に一部は日本鉄道建設公団が買収し、国鉄井原線の建設工事が 始まり、国鉄再建特別法による中止を経て、廃止から28年後の1999年に、伯備線の総社から福塩線の神辺まで第三セクターの井原鉄道として開業します。

井笠鉄道では多くの車両が保存され、旧駅舎を使用した保存館もあるそうです。機会があれば、訪れてみたい場所の一つです。

 

2009/8記

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