指宿枕崎線 |
貨車の入れ替えを |
キハ20系、10系4連 |
キハ26の車窓から |
キハ10系の西鹿児島 |
キハ40系2連の |
キハ40系2連の |
国鉄最南端の指宿枕崎線を初めて訪れたのは、1971年の早春です。指宿を拠点に、均一周遊券で乗れる国鉄バスで、長崎鼻や池田湖を訪れ、枕崎まで足を伸ばしています。枕崎では、伊集院に向かう鹿児島交通線が接続していましたが、別途料金が必要なため、指宿枕崎線に乗って指宿に引き返しています。現在も、鹿児島中央から指宿までは観光特急がありますが、当時は宮崎からの急行“錦江1号”や博多からの“かいもん1号が”山川まで直通していて、山川まで線内の快速もありました。
山川から先、枕崎までの間は当時から閑散路線でしたが、それでも写真を見るとキハ20系と10系併結の4連が走っていて、並行する国鉄バスも加わり、それなりの需要はあったようです。
開聞岳の近くにある西大山駅は、鉄道最南端の駅として当時から知られており、長崎鼻や枕崎とは別の日に、西大山に下車することだけを目的に出かけています。開聞岳が逆光になっているので、夕刻でしょう。西大山で下車してしばらく待つと、キハ10系を先頭にした西鹿児島行きがやってきました。
それから39年後、2010年1月に山川を訪れた帰りに、枕崎から鹿児島空港行きのバスがあることを知り、指宿枕崎線に乗りました。キハ48の2連のワンマン列車は、西大山駅で5分程停車して写真タイムが設けられていました。駅は当時から1線片面だけの無人駅で、ホームは舗装されていましたが、上屋は昔のままと見受けました。
2014/01記