茨城交通

茨城交通の車両

茨城交通の想い出

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留萌のへそ電
キハ1002
'87.8 那珂湊

もと留萌鉄道の
キハ1103
'87.8 那珂湊

もと留萌鉄道の
キハ2001と2002
'87.8 那珂湊

 

もと国鉄キハ11の
キハ111
'87.8 那珂湊

ステンレス車体の
ケハ601
'87.8 那珂湊

ロッド式のディーゼル
機関車ケキ102と103
'87.8 那珂湊

     

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茨城交通は水戸市周辺の鉄道やバス会社がの第二次大戦中に合併で生まれた会社です。今では鉄道線は、常磐線の勝田から分岐して那珂湊を経て阿字ヶ浦に至る湊線だけですが、かつては上水戸から水戸駅前を経て大洗に至る水浜線や、常磐線の赤塚から分岐して那珂川に沿ってさかのぼり御殿山に至る茨城線があったそうです。

路面電車の水浜線と、茨城線の一部区間は電化されていて電車が運転されていましたが、湊線全線とと茨城線の大半の区間は非電化で、1960年代は合併前の会社から引き継いだり国鉄から払い下げを受けた機械式の気動車、茨城交通になってから新造した気動車のほか、ディーゼル機関車が牽引する客車列車も運転されていたそうです。

私が茨城交通を訪れたのは、1987年のことでした。水浜線や茨城線はすでになく、唯一残った湊線の車両は1970前後に廃止された北海道の運炭鉄道、留萠鉄道と羽幌炭坑鉄道からの譲渡車が主力となり、戦後に茨城交通が購入した前面二枚窓の湘南マスクの総括制御のできない気動車を淘汰するため、国鉄払い下げのキハ11型が転入していました。

このときの茨城交通の車種をご紹介します。当時、唯一残っていた自社発注車のケハ601は新潟鐵工所製で、1960年頃に相次いで試作されたステンレス車の気動車版です。キハの「キ」は「気動車」ですが、ケハの「ケ」は燃料に使う「軽油」のことだとか。

このケハ601は、茨城交通の看板車両として、勝田から水戸まで常磐線への乗り入れに使用されたこともあったようですが、トルコン付きなのに総括制御ができないという中途半端な仕様が災いしてか、国鉄からキハ11の払い下げを受けてからは使われなくなっていました。錆びないステンレス車体のおかげで、廃車後も台車をはずしたダルマさんとなって、今でも倉庫として車体は活用されているそうです。

キハ1001と1002は、北海道留萠本線の恵比島(1999年のNHK朝の連続ドラマ「すずらん」で、「明日萌駅」となりました)から分岐して炭坑のある昭和を結んでいた留萌鉄道が新造した気動車です。国鉄のキハ10系と同世代の側面バス窓ですが正面二枚窓の湘南型、台車は1世代前の旧型と同様の菱枠型を履いているものの動力台車側は2軸駆動で、上下にあるヘッドライトのうち窓下のものはこの台車の動きにあわせて首を振り、急曲線でも確実に進行方向を照らすことができるユニークな構造でした。

増備車であるキハ1003は国鉄キハ20系と同世代の車両で、正面の2枚窓の下のヘッドライトはなくなり、駆動方式も一般的な1軸駆動に戻り、側面は1段窓、正面は国鉄の80系湘南型電車により近いスタイルをしています。塗装も留萠鉄道時代は、国鉄のクハ86によく似た金太郎の腹かけタイプの塗り分けだったとか。

その後に新造したキハ2004と2005は、国鉄の北海道仕様キハ22型とほぼ同じタイプとなりましたが、5両全部が国鉄のキハ55のようなヘッドライトの両脇にタイフォンを装備しています。留萠鉄道には、国鉄留萠本線に乗り入れ、函館本線と接続する深川まで直通する運用もあったそうです。

最後の増備車キハ2005の入線からわずか2年後、1969年に炭坑の閉山に伴う留萠鉄道の廃線で、5両まとめて茨城交通に引き取られました。湊鉄道引き継ぎ車や国鉄払い下げの機械式気動車と置き換えられ、茨城交通の車両近代化に貢献しています。

翌年には、同じ北海道の羽幌線築別と築別炭坑を結んでいた羽幌炭坑鉄道も、炭坑の閉山により廃線となり、国鉄のキハ22タイプの気動車、キハ221〜223の3両が茨城交通に入線しました。運転士側の正面窓にワイパーに代えて旋回窓を装備しているのが外観上の特徴で、羽幌炭坑鉄道の塗色であるぶどう色に白帯がそのまま茨城交通の標準色になりました。

1987年の訪問時には、車両の塗色はクリーム色に青帯になっており、バスと同じ現在の塗色への変更が始まっていました。

気動車の他に、凸型車体のディーゼル機関車がケハ102と103がいました。1950年代の私鉄のディーゼル機関車によく見かけた、ロッド式の動輪を装備しています。北海道から気動車が転入してくる以前は、湊鉄道オリジナルの客車や貨物列車の牽引に働いていたそうですが、すでにこの時点で車庫で暇をもてあましているような状態でした。

その後、国鉄→JRのキハ20の転入や新造車の入線により、一時期は茨城交通の主力だった北海道の私鉄気動車も引退が相次いでいますが、もと留萠鉄道のキハ2004が国鉄のキハ55登場時の準急色に塗り替えられて活躍しているそうです。キハ2004には全く縁のない塗色ですが、ヘッドライトの両脇に蓋の形状は異なるものの2つのタイフォンがあり、正面から見たスタイルがキハ55似だったからでしょうか。

同じ茨城県の鹿島鉄道が2007年4月以降の存続が危ぶまれているそうです。茨城交通の気動車の末永い活躍を期待するものです。

※ 羽幌炭坑鉄道の気動車の現役時代はこちらをご覧ください

※ 茨城交通湊線は2008年にひたちなか海浜鉄道になりました。

2006/4記

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