豊肥本線 |
豊肥本線の貨物用 |
キュウロクと |
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しばし休憩 |
立野のスイッチ |
宮地行きの |
熊本行きの |
夕日をあびて |
JR九州のSLあそBoyオレンジカード
何故かデフレクタをつけていない姿
豊肥本線は大分と熊本を結び、九州を東西に横断する路線です。初めて豊肥本線の列車に乗ったのは、1971年のことです。まだまだ現役の蒸気機関車が活躍していた時代で、大分から豊後竹田の間にはまだ汽車が残っていたかもしれませんが、阿蘇の外輪山を越える急勾配区間の旅客列車はディーゼル化され、貨物列車は9600型蒸気機関車が牽引していました。急行券無しで自由席に乗り放題の九州均一周遊券(後のワイド周遊券で今では廃止)を持っていたので、やまなみハイウエーのバスは使わずに、熊本からキハ55やキハ58系の急行“火の山”で立野のスイッチバックを越えて阿蘇駅まで行き、バスに乗り換えて阿蘇山に登ったあと、再び立野まで戻り、C12型蒸気機関車が牽く高森線経由でバスに乗り継ぎ高千穂に抜けています。
次に豊肥本線を訪れたのは、それから18年後の1989年のことです。福岡に出張していて仕事が終わるのが金曜の夜、翌週月曜の朝には宮崎にいなければならず、東京に戻らないでこの間の土日を熊本に一泊して宮崎までの移動にあて、余った時間で阿蘇まで往復することにしました。
国鉄の分割民営化でJRが誕生して2年余り、バブル経済のまっただ中、乗客誘致を兼ねて各地で蒸気機関車が復活しました。北海道ではC62のニセコ号が、ここ九州では8620型のあそBOYが誕生していました。
あそBOYを牽引する58654号機は1922年に製造され、長崎本線や肥薩線で活躍した後、現役時代の最後は人吉機関区に所属して湯前線(今のくまがわ鉄道)の列車を牽引していた そうです。1975年に廃車になった後、肥薩線の矢岳駅に12年間保存されていたものを1987年に復活して、1988年から豊肥本線の熊本−宮地間で運転を開始しました。
熊本から阿蘇まで往復の指定券を買い求めて朝の熊本駅に行くと、58654号機が3両の客車の先頭に立って煙をあげています。美しいオリジナルタイプの化粧煙突、九州の蒸気機関車に多くみられた、門鉄デフと呼ばれる国鉄門司鉄道管理局管内の小倉工場が施工した切り欠きタイプの除煙板もよく似合ってます。
客車は50系ですが、デッキを設けシートを交換、冷房化など、当時全国どこにでもいた赤い一般型から大幅な改造を受け、蒸気機関車とはバランスがとれないものの、窓は開き、シートピッチも広がってそれなりに乗り心地は良く、走り始めて車窓に煙がたなびき、汽笛やドラフト音が聞こえればGパンにカウボーイ姿の乗務員の存在も気にならなくなり、それなりに楽しめました。
その後、ウエスタンスタイルとかで機関車をダークグリーンに塗り変えたり、煙突をダイヤモンドスタック風に改造したりと、あそBOYは悪のりとしか思えないような状況にされ、今では塗色は黒に戻したものの、残念ながら煙突は 後遺症の不細工な姿をさらしたまま走っています。
最近では大正生まれで国内最高齢の蒸気機関車58654号機の調子が優れず、ディーゼル機関車の補機や代行運転でしのいできたものの、台枠の痛みが激しいことから、ついに復活から17年目にあたる2005年8月28日をもって、SLあそBOYの運転を終了するとの新聞報道が出ました。
蒸気機関車現役時代に、1000分の33の急勾配のある豊肥本線の旅客列車にはC58が、貨物列車には短足の9600型が使われており、華奢な大正時代の急客機8620型にとって阿蘇の山登りは条件が厳しすぎたのでしょう ね。
58654号機は再びどこかで保存されることになるのでしょうが、煙突だけはここにある写真の姿に戻してやってもらいたいものです。
2005/07記