北陸本線 |
北陸本線の田村−敦賀間が交流電化されたのは、1957年のことだそうです。米原から2駅、田村駅の手前に交直接続のジャンクションがあり、1960年代になって471系交直両用急行電車や481系交直両用特急電車 が登場すると、車上切り替えで直通運転が実現します。EF55型の部品流用でED30型交直両用電気機関車が試作されたものの、常磐線のEF80型や関門トンネルのEF30型のように量産されることはなく、電車による特急や急行とキハ20系のディーゼルカーで運行される彦根−木之本間区間運転を除けば、客車急行や普通列車、貨物列車については、1968年まで米原−田村間は蒸気機関車による交直接続が行われていました。
電化当初はE10型蒸気機関車が使われたそうですが、後にD50が取って代わり、DD50とDE10によりディーゼル化される直前には、D51の割合が多くなっていました。
米原−田村間はわずか4.7km。途中の坂田駅は、今では新快速も止まりますが、当時は機関車牽引の客車列車は普通列車でも通過し、僅かに区間運転のディーゼルカーだけが停車する駅でした。
運転区間が短いことと、田村に転車台がないため、蒸気機関車は常に敦賀を向いていて、米原方面の上り列車は逆向きで牽引していました。北陸本線上りの貨物列車は、米原駅を通過して彦根寄りの米原操車場まで、蒸気機関車が牽引していました。
この区間のクイーンは、大阪−青森間をロングランしたキハ82系の特急“白鳥”でしょう。481系の特急“雷鳥”も“しらさぎ”と共通運用で米原を経由していました。
1968年10月のダイヤ改正で蒸気機関車は引退し、DD50とDE10型ディーゼル機関車があとを継ぎます。その後、1974には 山科と近江塩津を短絡して関西と北陸を直結する湖西線が開通します。EF81型交直両用電気機関車が関西から北陸まで直通で列車を牽引し、米原経由 の列車は大きく本数を減らします。
1985年には客車列車が姿を消し、普通列車も交直両用の電車のとなりますが、京阪神からの新快速延伸のために1991年に田村−長浜間が、2006には最初の交流電化区間であった敦賀まで、直流に切り替えられます。
敦賀から先の交流区間では、福井や金沢が高架の新しい駅に替わり、次は富山に順番がまわってくるのでしょう。ここで写真に示した北陸本線の車両は、全て過去帳入りしましたが、交流区間では巡り合わせが良ければ、東北や九州では姿を消した475系急行電車や583系寝台特急電車を格下げした普通電車に乗ることができ、旅の楽しみのひとつです。
2009/5記