日立電鉄 |
ラッシュ時専用 |
1000型は1両ずつ |
もとは気動車 |
ワンマンの主力車 |
乗客数の減少から、2005年3月をめどに路線の廃止を打ち出した日立電鉄は、 常北太田から大甕で常磐線と接続し、並行しながら鮎川に至る路線です。今では、東京の営団地下鉄で廃車となった銀座線の2000型の車体に日比谷線の3000型の走行機器を組み合わせた電車に統一されていますが、1990年代の中頃までは雑多な旧型車の走る楽しい路線でした。1987年の夏休みの一日、青春18切符を使って上野から常磐線に乗り、水戸で水郡線の気動車に乗り換え、さらに上菅谷で乗り継いだ枝線の終点、常陸太田駅で下車すると、目の前に日立電鉄の常北太田駅がありました。構内には、4両編成と、2両編成の2本の電車が留置されていて、前者はラッシュ時専用のようです。
しばらく待つと、1両でやってきたのは13型のワンマンカー。折り返しで大甕まで乗ったのが、日立電鉄唯一の乗車体験です。13型は、もとは国鉄相模線の前身である神中鉄道の気動車です。エンジンで発電機をまわして起こした電気を使ってモータで走る電気式の気動車だったそうですから、電車に改造も容易だったのでしょう。正面が大きく傾斜した流線型から、安っぽい食パン型の切り妻に改造されていますが、それでも田舎電車ファンには魅力たっぷりの車両です。
日立製作所の系列会社の日立電鉄は、社員をはじめとするラッシュ時の大量輸送のため、当時は4両編成の電車を走らせる一方で、閑散時の単行運転には路面電車を除く郊外電車としては日本で初めてワンマンカーを導入し、13型もその時の一員となったとか。
国鉄/JRの大井工場の保存され、一般
公開でお目にかかれる木造の院電(国鉄が鉄道院だったころ)ナデ6141が、目蒲電鉄から回り回って日立電鉄に流れ着き、再び国鉄に戻って大切に保存されることになったように、日立電鉄は旧型車の宝庫でした。 小田急開業時の電車や国鉄宇部線の前身である宇部鉄道の買収国電など、様々な中古車のなかで、日立が製造した営団地下鉄の注文流れを引き取ったと言われる11型もいました。皮肉なことに、営団地下鉄2000型の入線で廃車になりましたが、最近になって当時のカラーに塗り替えたもと営団2000型をみると、日立電鉄最後の新造車11型の面影をよく伝えているように見受けられます。
2003/04記
※ 日立電鉄は2005年に廃線になりました。