肥薩線

肥薩線の列車

肥薩線の想い出

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D51の牽く
普通列車
'
71.2 矢岳

キハ52の
普通列車と交換
'89.10
大畑
場内信号機と
出発信号機
'89.10 大畑
     

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肥薩線は、鹿児島本線の八代から別れて球磨川沿いにさかのぼり、人吉から山に分け入り大畑からループ線で高度をかせぎ矢岳へ、熊本・宮崎県境の国見山地を越え、吉松で都城に向かう吉都線を分岐し、錦江湾に面した隼人で日豊本線に合流する路線です。八代から海岸回りで鹿児島に向かう、新幹線開業後は肥薩オレンジ鉄道に転換した路線が完成するまでは、こちらが鹿児島本線を名乗っていたとか。

肥薩線を初めて訪れたのは、1971年の冬です。熊本から肥薩線、吉都線経由の宮崎行き急行“えびの1号”に乗り、大畑のループを越えています。キハ58系のディーゼルカーは、グリーン車を含む長い編成でした。

肥薩線の矢岳越えは、根室本線の狩勝峠、篠ノ井線の姨捨とともに、日本三大車窓の一つに数えられています。今では、観光列車“いさぶろう”や“しんぺい”でその車窓を堪能できるのでしょうが、1971年頃は合理化と動力の近代化のために機関車牽引の列車から電車や気動車への転換が進められていた時期で、機関車から電車や気動車に移行した乗務員は、夜間やトンネル区間以外でも常時運転台背面のデッキと仕切る壁の窓のカーテンを閉めきっている場合が多く、列車の前方の展望を楽しむことは困難でした。

“えびの1号”もそんな状態で、大畑駅のスイッチバックからループ線にさしかかります。先頭車のデッキに卒業旅行の女子高生のグループがいました。私がループ線の話をすると、彼女たちが“見たい!見たい!”、“カーテン開けて〜!”と叫び、その声が運転室に届きカーテンが開きました。

運転室には、運転士と助士の他にも2〜3名の職員の方が乗り込んでいて満員。でも一同、その隙間から大畑ループの展望を楽しむことができました。

サミットの矢岳駅では、D51の牽く旅客列車と交換しました。乗客数の少ない人吉−吉松間は、D51の牽く貨物列車に1両だけ客車を連結した混合列車が運転されていましたが、この列車は客車を3両も連結しています。

再び肥薩線を訪れたのは、それから18年後の1989年の秋です。まだ国鉄からJR九州への移行から2年目で、九州縦貫自動車道が全通しておらず、熊本−宮崎間の急行“えびの”が残っていて、キハ58/65系で運行されていました。運転台後部窓のカーテンは閉められることはなく、前方の展望を楽しむことができました。

2009/9 記

 

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