平成筑豊鉄道

平成筑豊鉄道の車両

平成筑豊鉄道の想い出

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開業から6日目 富士重工製のピカピカの新車 田川後藤寺 '89.10

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筑豊といえば石炭産業、掘り出された石炭を満載した貨車をD50や9600型蒸気機関車が牽引し、筑豊本線を通じて若松港や全国各地へ送り出した、そんな時代がありました。筑豊本線や日田彦山線の沿線には、炭坑に通じる支線が網の目のように張り巡らされていました。

石炭産業の衰退とともに、ローカル線はその存在意義を失い、枝線は次々と廃止され、最後に残った伊田線、糸田線、田川線が第三セクター平成筑豊鉄道に転換したのは、JR化後の1989年、年号が昭和から平成に変わった年です。

開業から6日後、糸田線と日田彦山線、後藤寺線が接続する後藤寺駅で、平成筑豊鉄道のピカピカの新車に出会いました。富士重工のレールバスですが、それ以前に導入された第三セクター用と比べ、車体は大きくなってボギー台車をはき、一般的な鉄道車両に近づいたタイプです。

それから20年後、先日の唐津への出張の帰りに、仕事が早く終わって飛行機を待つまでの間の時間つぶしに、博多から吉塚までの160円の乗車券で福岡近郊区間の大回りをしました。後藤寺に停車していた平成筑豊鉄道の車両は新しくなり、次の伊田ではイベント車でしょうか、新しい転換クロスシートの車両に代替わりしていました。

今では、平成筑豊鉄道に、運炭鉄道の面影を見いだすことは困難になっています。

2009/12記

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