阪和線

阪和線の列車

阪和線の乗車券

阪和線の想い出

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鳳-東羽衣間の
クモハ123
鳳 '88.8

日根野発新宮行
165系の普通
日根野 '88.8

   

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天王寺駅の券売機で発券した乗車券
1973年当時は初乗り30円で阪和線の長居まで行くことができた

 

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大阪の天王寺と和歌山を結ぶ阪和線の電車に、初めて乗ったのは1967年のことでした。天王寺駅の高いホームに出入りする普通電車は、下のホームで接続する大阪環状線の101系と同じオレンジ色ながら、旧型国電や阪和電鉄引き継ぎ車の雑多な編成でした。

阪和線は、1929年に私鉄の阪和電鉄として開業し、第二次世界大戦中に南海鉄道と合併、1944年には南海鉄道の旧阪和電鉄部分が戦時買収で鉄道省に組み込まれました。

全国各地で第二次大戦中に国に買収され、戦後に国鉄に引き継がれた買収国電は、すでに大半が地方私鉄に払い下げられて、国鉄線上からは姿を消していましたが、国電を上回る性能を持っていた阪和電鉄の車両は、クモハ20、クハ25などの型式をもらって、国電の仲間入りをしていました。

同じクモハ20型、クハ25型でも、阪和電鉄時代には特急用の2扉クロスシートのモヨ100型(その後3扉ロングシート化)や、ローカル用の3扉ロングシートのモタ300型などと別れており、中でも窓の上下に補強板の見えないノーシール・ノーヘッダで上角のRの大きなニコニコ窓のモタ3000型、クタ7000型を初めて見たときはインパクトがありました。

それから1〜2年後には、これらの社型電車は国鉄線から姿を消します。このとき、岩手県の松尾鉱山鉄道に移った、もとモヨ100型には後に大更で、松尾鉱山鉄道の廃止後弘南鉄道に引き取られてから は弘南黒石で再会しますが、ニコニコ窓のモタ3000型、クタ7000型は残念ながら写真には残っていません。

天王寺−東和歌山(後に和歌山と改称)間の快速や直行(後の区間快速)には、横須賀線と湘南電車を足して2で割ったような、阪和独自色の70系が使用されていましたが、これも写真にはありません。

写真が残っているのは、JR化から1年余り経過した1988年の東羽衣支線の123系と、紀勢本線直通の165系です。前者は、鳳−東羽衣間の区間運転用に荷物電車を改造したもので、扉の位置を、もとの荷物扉があった場所に合わせているため、変則的な配置です。ラッシュ時は103系を併結していました。

165系は当時の紀勢本線南部の主力車種で、この時は青春18切符で始発の日根野から新宮まで乗り通しています。

2007/09記

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