京阪神急行電鉄

京阪神急行電鉄の車両

京阪神急行電鉄の乗車券

京阪神急行電鉄の想い出

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写真をクリックすると拡大写真が表示されます。

梅田からの特急
2001号
須磨浦公園 '68.4

折り返しに向かう
2050号
須磨浦公園 '68.4

特急須磨浦公園行
2003号
須磨浦公園 '68.4

須磨浦公園に
到着する2054号
須磨浦公園 '68.4

ローレル賞の
プレート
2001号車内 '68.4

         

京都線梅田行急行
2354号
淡路 '68.8

京都線桂行普通
2367号
淡路 '68.8

嵐山線の小型車
211号
嵐山 '68.6

嵐山線の小型車
201号
嵐山 '68.6

嵐山線のデイ100型
1511号
嵐山 '68.6

         

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梅田駅の券売機で発券した乗車券
薄い紙でインクが滲んでいる

 

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京阪神急行電鉄は、第二次世界大戦中に戦時統合として、京阪電鉄と阪神急行電鉄が合併して誕生した会社です。この合併より以前に、京阪電鉄が系列の新京阪鉄道を吸収合併していて、京都−大阪間には国鉄をはさんで淀川の東岸と西岸に旧京阪線と新京阪線が運行していました。

戦後、淀川東岸の旧京阪の路線が京阪電鉄として分離したものの、淀川西岸の新京阪線は京都線、千里線、嵐山線として京阪神急行電鉄に残りました。

1973年には、それまで略称だった阪急電鉄に社名を変更、2005年に電鉄とホテル、旅行業を束ねる阪急ホールディングに移行し、翌年にはかつてのライバル阪神との経営統合により阪急阪神ホールディングになっています。

ここに写真のある1968年当時、京阪神急行電鉄の時代も、一般には阪急電車と呼ばれていました。

阪神急行電鉄であった神戸線や宝塚線は、神戸高速鉄道の開通による山陽電鉄乗り入れ前年の1967年の1500Vへの昇圧以前は架線電圧が600Vで した。900型等の戦前型は一段下降窓の阪急スタイルの電車が使用されていました。

一方、新京阪であった京都線や千里山線の戦前型は、新京阪鉄道引き継ぎのデイ100型や小型車デロ10型が運行されていました。こちらは初めから1500Vです。

戦後の増備車は、両線ともに系列のナニワ工機が製造した共通の阪急スタイルとなり、900型の流れを引き継いでいます。車体は共通のスタイル になっても、モーターや制御器などの電機品は、神宝線の東芝に対して京阪の流れを引き継ぐ京都線系統は東洋電機で、 車両の番号の付け方も神宝線系統は0から、京都線系統は1から始まっていました。

昇圧前は、神宝線と京都線が併走する梅田−十三間の電圧は両線とも600Vとなっていて、京都線が十三を出て大きく右にカーブする付近に電圧切り替えのためのデッドセクションが存在し、ここを通過するときには一瞬車内灯が消えました。

国鉄の北側に現在の阪急梅田駅や阪急三番街ができる以前は、大阪駅のガードをくぐった阪急百貨店のところが駅になっており、梅田駅を京都線の特急、宝塚線の急行、神戸線の特急が同時発車すると、600V仕様の神宝線に比べ1500V仕様の電車を600Vで走らせている京都線は加速が悪く、どんどん引き離されていきました。

1965年に、それまでのスタイルを一新した新車がデビューします。電機品の違いから神戸線の2000型、宝塚線の2100型、京都線の2300型に別れていたものの、車体は現在まで続く新しい阪急型です。

半導体を使用した定速制御で、ノッチの位置をあわせれば勾配や乗客数にかかわらず一定速度で走行できる高性能車で、初代のローレル賞を受賞しています。

高級感のあるマルーン一色の車体にアルミ製の窓の外枠が銀色のアクセントとなり、離線による回生ブレーキの失効を避けるためでしょうか、電気機関車のように2台のパンタグラフあげて走る姿は、ライバルの京阪や阪神を一歩引き離していると感じました。

神宝線の2000型と2100型は昇圧改造時にパンタグラフが1台となりましたが、2300型は制御系を更新後も当時の姿をとどめており、後に登場した転換クロスシート装備の2800型で完成の域に達しますが、残念ながら写真に残していません。

京都線の桂から別れて嵐山に至る支線には、いつも京都線系統で最も古い車両が配属され、最後のおつとめをする線区になっています。

このころの嵐山線専用車は、200型と210型で、いずれも1編成だけでした。200型は焼失した千里山線の小型木造車、新京阪デロ10型の車体新造車で、1930年代に流行した流線型です。オリジナルのデロ10が能勢電鉄に去ったあとも、阪急唯一の流線型として活躍していました。

210型は、新京阪の電動貨車の部品を流用して、宝塚線の小型車に似た車体を新造した3両編成で、阪急としては少数派の正面非貫通タイプです。後に、宝塚線の500型の後を追って、広島電鉄宮島線に引き取られていきました。

100型、新京阪のデイ100は、7連での本線の急行仕業も残っていましたが、3連での天神橋−河原町間の普通が主な仕事となっており、同じ編成で嵐山線に入線することもありました。重厚な吊りかけ音が今でも耳に残っています。

2007/06記

 

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