函館市電 |
函館駅前 |
函館駅前 |
市役所前 |
湯の川温泉 719号 '78.4 |
湯の川温泉 811号 '78.4 |
十字街 510号 '87.3 |
十字街 501号 '87.3 |
末広町 1006号 '87.3 |
青函連絡船松前丸に乗って、北海道の玄関函館に初めて上陸したのが1969年のことでした。湯の川温泉のユースホステルに泊まるため、駅前から乗ったのが函館市電です。当時は、函館駅から湯ノ川に向かう市電には、松風町まわりの5番とガス会社まわりの3番があったはずですが、どちらに乗ったのかは記憶にありません。
それ以来、1978年にガス会社前と五稜郭駅前間の盲腸線が廃止された後も、函館の市電は'90年代の始めまで全盛期に近い路線網を保っていました が、1992年に運転間隔の極めて長かった松風町と宝来町間が、翌1993年には幹線の一部である函館駅からガス会社前を通って五稜郭公園前に至る路線が廃止になってしまいました。路線の縮小に伴い、かつては数多くの系統があった函館市電も、現在では2番と5番の2つの系統を残すのみとなりました。両系統は、湯ノ川からそれぞれ以前は交差点であ った五稜郭公園前を左折、松風町を右折、函館駅前を左折して唯一残った分岐点である十字街に至り、5系統はそのまま直進して函館どっく前へ、2系統は左折して宝来町から谷地頭に至ります。
1993年の不採算路線の廃止後は、それまでの在来車の部品流用の車体新造車に加えて、完全な新車や雪かき車をベースにした観光用のクラシック車の投入などの てこ入れが行われてきました。熊本市電とともに、市電では珍しい区間制運賃を採用しており、整理券に印字してあるバーコードを料金箱に投入された際に読みとって料金を表示するシステムはなかなかの優れものです。
しかし道内の経済、とりわけ函館を支えてきた造船と水産の長期にわたる不況で電車やバスの利用者は減少を続け、最近実施されつつある市バスを函館バスに譲渡して、市営は市電に一本化する合理化は 交通局再建に向けた背水の陣と見ました。
ここに写真のある1960年代末から87年に至る時期に主力として活躍していた電車は、函館オリジナルの500型、710型、800型、それに都電からやってきた1000型です。
どっしりとした重量感のある500型は内装が木製で、デザインにふさわしい渋い塗色です。主力の710型と800型は1960年代に各地の路面電車に導入された、都電の8000型によく似たスタイルで、軽快な車体にライトグリーンとクリーム色がよく似合っていました。
荒川線を除く江東地区の都電全廃の少し前に東京からやってきた1000型は、正面窓が改造されたものの、荒川線に残った仲間が四半世紀も前に新造車体に更新された後も、都電7000型のスタイルを現代に伝える貴重な存在です。