函館本線

函館本線の列車

函館本線の動画

函館本線の入場券

函館本線の想い出

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下り貨物列車
D52
'69.8
大沼公園

下り普通列車
DD51
'69.8
大沼公園
単機回送
D52201
'69.8
大沼公園
特急北斗
キハ82
'69.8 大沼公園
上り貨物列車
D52140
'69.8 銚子口
北斗と入れ替え作業
中のキュウロク
'69.8 長万部
           
C62重連下り急行
ニセコの通過
'69.9 蕨岱
上り貨物列車
D5180
'69.8 上目名
下り貨物列車
D51
'69.8 上目名
上り普通列車
D51
'69.8 上目名
上り急行ニセコ
D51+C62
'69.8 上目名
上り急行宗谷
キハ56
'69.8 上目名
           
上り普通列車
キハ22
'69.8 塩谷
上り急行ニセコ
C6244+C62
'69.8 小樽
上り急行ニセコ
C6244+C62
'69.8 小樽
上り急行ニセコ
C6244+C62
'70.3 小樽
普通電車
711系
'69.8 小樽
急行気動車
キハ56系
'70.3 札幌
           
特急北海
キハ82
'70.3 札幌
特急おおぞら
キハ82
'85.7 札幌
普通電車と
札沼線の気動車
'85.7 札幌
下り普通列車
ED76
'69.8 美唄
石炭列車
9600型
'74.7 滝川
上り普通列車
C5550
'69.8 旭川
           

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函館本線急行サロベツ 特急ホワイトアロー 特急ライラック 1992年11月の車窓をご覧下さい

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函館駅の入場券   旭川駅の入場券

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1968年の秋に東北本線の電化、複線化が完成して、東京と北海道をむすぶ動脈が太くなりました。列車が終着青森に近づくと、車掌さんが車内をまわって乗船名簿に書き込む用紙を配ってくれます。いくら輸送力の増強に励んでも需要に追いつかなかった当時、年末やお盆の帰省時には青函連絡船では、函館から先の指定券を持つ乗客が優先して乗船することができました。

北海道の玄関はもちろん函館です。内地と北海道を行き来する人も物資も、その多くは青函連絡船を介して函館本線で運ばれました。函館と旭川をむすぶ函館本線は北海道一の幹線です。北海道の列車のダイヤは函館を中心に、東京連絡を最重要視して組まれていました.。急行すずらん以外は札幌以遠の道内各地に直通していました。

午前0時過ぎに青森を出航した1便と11便が相次いで到着する早朝から、夜行列車が出る深夜まで、連絡船から下船した乗客が階段を下りてくると、函館駅のホームの両側に長い編成の特急列車や急行列車が発車の準備を整えて待っていました。特急列車は全てキハ82系で、北海が山線経由の旭川行、その他は室蘭本線経由で北斗が旭川行と札幌行の2本、おおぞらは釧路行、おおとりは網走行と釧路行の併結でした。

長万部から先、札幌方面は勾配のない室蘭本線経由がメインルートとはいえ、ニセコ・倶知安経由の函館本線の山線にも優等列車はたくさんありました。函館から旭川行特急北海、稚内行急行宗谷、札幌行急行ニセコが2本(上りの3号は根室−函館間)、区間運転の倶知安−札幌間(小沢で岩内線からの普通列車も併結)の急行らいでん2本や胆振線経由の循環急行いぶりも設定されていました。また、夜行の普通列車釧路行の他、網走行など長距離の普通列車の設定もありました。

急行列車のうち、14時15分に発車する山線経由札幌行きニセコ3号と、夜行の室蘭本線経由札幌行きすずらん6号がC62牽引のブルーのスハ44系客車列車でした。山線経由で稚内まで直通する宗谷をはじめ、その他の急行はキハ56系気動車が使われていました。区間運転の普通気動車や、江差線、松前線、瀬棚線、胆振線、岩内線直通急行の多くは一般型のキハ22で運用されていました。長距離の普通列車は、一部にDD51型ディーゼル機関車が進出していましたが、大半はD51が牽引していました。

貨物列車も数多く設定され、コンテナ急行がDD51重連の他は、平坦線ではマンモス貨物機のD52またはD51が、山線ではD51が先頭に立っていました。

函館本線のハイライトは長万部から小樽までの山線です。連絡船で航送されてきた東京隅田川から直通の荷物車や郵便車を併結して下りは9両、上りは11両編成となる急行ニセコは、勾配区間の長万部−小樽間には前補機がつき、国鉄最大の旅客用蒸気機関車C62の重連で運転されます。

当時、小樽築港機関区には、デフにつばめのマークを付けたC622、後に復活することになるC623、それにC6232、C6244の4両のC62が配置され、小樽−函館間上りと下りのニセコの本務機(間合いを利用して夜行の急行すずらん6号を牽引して函館−長万部を1往復)にそれぞれ1両ずつと、補機の小樽から長万部折り返し運用に1両の3両使用で、1両が予備となっていました。前補機につばめマークの2号機がつく確率は1/4のはずです。

長万部から小樽方面に35km、D51の牽く普通列車で5つ目、熱郛と目名の間に上目名という駅があり、全国からC62の重連を撮りに来たファンでにぎわっていました。私も札幌に向かう途中、上目名で下車してD51の牽く普通旅客列車や貨物列車を撮りながら、勾配を登ってくる上り急行ニセコ1号を待ちました。

蒸気機関車のドラフト音というより、ジェット機に近い“ゴー”という音とともにカーブを曲がってカメラのファインダーに入ってきた列車を見て一瞬“あれ?”。何と、前補機にはナメクジドームを持つ1次型のD51が……。

今から思えば贅沢かもしれませんが、この時ばかりはがっかり。夜の発車シーンを撮る三脚が林立する倶知安に宿をとってあったものの、下りのニセコ3号の前補機も折り返しのD51とわかっているので、撮る気も失せてしまいました。翌日気をとり直して、オタモイ峠に向かう上りニセコ1号を小樽駅の先で待ち受けました。今度は先頭にC6244がついてきてくれました。

ニセコの間合いで夜行の急行すずらん6号の函館−長万部間を牽引(長万部から札幌はD51)していたC62は、1969年の秋にDD51に替わりました。C6232と44号機が1970秋の呉線電化で余剰となって転入してきたC6215と16号機と交代したのもつかの間、日本最大の旅客用蒸気機関車が重連で牽引する急行ニセコは、1971年秋にDD51にバトンを引き継いだのでした。つばめマークの2号機は京都の梅小路蒸気機関車館に去り、その後しばらくは3号機が山線の普通列車の任務に就いていました。

小樽から札幌を経て滝川までは電化区間です。客車列車は北海道仕様の電気機関車ED76の500番台が牽引します。また北海道の国鉄唯一の電車である711系は、普通から急行かむいまで広く使用されていました。札幌から道内各地へ向かう特急はキハ82、急行はキハ56系や一般型のキハ22型気動車で運用されていました。

札幌から先では、国鉄、私鉄を問わず石狩炭田から産出する石炭を輸送する路線が枝分かれしていました。私鉄線では古典型式や独自型式の蒸気機関車が、国鉄線ではD51や9600型の牽引する石炭列車が函館本線に集まってきました。

滝川−旭川間の複線電化は一足遅れ、完成するのが1969年10月です。その日まで、長いトンネルで別線化される、風光明媚な神居古潭の旧線を、宗谷本線と共通運用のC55の牽く旅客列車が駆け抜けていきました。

それから23年後、国鉄の分割民営化でJR北海道が発足して4年半、1992年の動画を追加します。新登場の特急スーパーホワイトアローを除けば、特急ライラックも急行利尻も、普通列車もみんな国鉄型でした。さらに22年が経過した今では、主役はすっかり入れ替わったようです。

2001/8記
2006/9追加
2013/3追加

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