羽幌線

羽幌線の列車

羽幌線の想い出

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留萌川を渡る
D61の貨物列車
'69.8 留萌付近

D61の
サイドビュー
'69.8 留萌付近

機関庫内の
D61
'69.8 留萌機関区

当時の北海道の蒸機
の特長的なD61
'69.8 留萌機関区

   

D51とD61の
違いは従台車
'69.8 留萌機関区

羽幌線に乗り入れた
羽幌炭坑鉄道の車両
'69.8 羽幌

幌延で羽幌線は
宗谷本線に接続する
'69.8 幌延

札幌と稚内を結ぶ
はまなす号
'85.8 羽幌付近

   

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函館本線の深川から西へ、日本海に出会う留萌から海沿いに南西へ、増毛に至るのが留萌本線です。国鉄があった時代には、留萌から日本海に沿って北東に向かい、幌延で宗谷本線に接続する長大ローカル線、羽幌線がありました。

留萌本線と羽幌線には、国鉄の中でもここだけで働く蒸気機関車D61がいました。貨物用蒸気機関車の標準機で、1000両以上製造されたD51の軸重を軽減して、規格の低い路線にも入線できるように、動輪の後ろにある従台車を1軸から2軸に改造することにより生まれた型式です。改造された時期が1960年前後と新しく、国鉄の蒸気機関車最後の新 型式です。

同じ目的でD50からD60やD52からD62、旅客用のC59からC60などは、一定両数の改造が行われ、目的に合わせた路線で活躍したのに対し、D61はわずか6両の改造にとどまり、留萌本線や羽幌線ではD51と共通で運用されたため、 本来の目的を達することができなかった型式です。

そんなD61に会いたくて、1969年の夏休みに旭川から稚内に向かう際、留萌本線、羽幌線のルートを選びました。朝の旭川で深川から留萌本線に直通するキハ22の普通列車に乗り、留萌で途中下車。留萌機関区を訪問したところ、運良くD613が出迎えてくれました。

狭くて暗い機関庫の中で、55mmの標準レンズでの撮影には苦しいものがありますが、ヘッドライトの前に突き出したトンネルのつらら切りや、その脇のシールドビームの予備灯、添乗のために追加された手すりや前方を切りつめたデフなど、当時の鉄道ファンには不評の 典型的な北海道型です。煙突のクルクルパー(火の粉止め)が皿形でなかっただけ、まだ良かったと思いながらも、初めて出会ったD61に多いに満足したものです。

羽幌線は、留萌を出るとすぐに留萌川を渡ります。次の幌延行きの列車まで時間があったので、駅で貨物列車の時刻を教えてもらい、鉄橋が見渡せる川岸で待ちました。やってきたのはD61ですが、側面からのショットは従台車が草に隠れてD51との違いがわからなくなっています。なお、側面に黄色の帯の入った貨車は、軸受の2段リンク化改造を受けていないため、最高速度が制限され、道内に封じ込められた車両です。

北海道の多くの国鉄線と同様に、留萌本線、羽幌線沿線にも炭坑から掘り出した石炭を国鉄で運ぶために、炭山と最寄り駅を結ぶ私鉄の運炭鉄道がありました。留萌から分かれる天塩炭坑鉄道は既に廃止されており、留萌本線の恵比島と昭和を結ぶ留萌鉄道も訪問の数ヶ月前に廃止になっています。羽幌線の築別と築別炭山を結ぶ羽幌炭坑鉄道は まだ運行されており、旅客用には国鉄のキハ22にそっくりの立派な気動車を使用していました。

羽幌炭坑鉄道は、築別から羽幌までの1駅間、国鉄羽幌線に乗り入れており、キハ22型2両編成の羽幌線幌延行き普通列車はこの間、羽幌炭坑鉄道のキハ22型2両編成を併結して4両編成になります。併結や切り離し時の手間を考えてか連結器はつなぐものの、昔の機械式気動車のように双方の車両に運転士が乗務し、協調運転をしていました。

羽幌炭坑鉄道の途中駅、曙と深名線の朱鞠内を結び、名寄と羽幌を直結する国鉄名羽線の建設工事が行われていたそうですが、炭坑の閉山により、羽幌炭坑鉄道は1970年に廃止となりました。この気動車を引き取った茨城交通が、留萌鉄道から購入した車両等も含め、チョコレート色に白帯の羽幌炭坑鉄道色に塗り替えて 使用し、茨城の海岸を北海道タイプの気動車が走っていました。

日本海沿いの美しい風景の中を北上する羽幌線は、北から大きくUターンするかたちで宗谷本線との接続駅、幌延に到着します。向かいのホームでは、C55が牽引する余市発稚内行き普通列車が乗り換え の乗客を待っていました。

次に、稚内から札幌に向かうバスに乗って、羽幌線の沿線を通ったのは16年後の1985年のことです。札幌の北都交通がデラックスなバスを使って始めた、会員制のツアーという名目で実質的には札幌−稚内間の路線バスがヒットし、対抗上、稚内の宗谷バスも参入してくり広げられたサービス合戦が話題を呼び、東京でも知られるようになっていました。

なかでも、北都交通の“はまなす号”は当時としては他に類をみない横1列3人(今の夜行バスのように独立ではなく2人+1人)のゆったりとしたシートで、スチュワーデスが乗務して、スリッパや 飲み物のサービスがあり、トイレから出るとサッとおしぼりまで出てきて(何か間違っていない?)、契約のドライブインで休憩時に積み込んだ昼食を車内で配るなど、今の夜行バスを大きく上回るサービス満点、それでいて運賃は国鉄の普通料金 のみより安かったのではなかったかと思います。

国鉄も対抗上、宗谷本線の急行宗谷、天北をボックスシートのキハ56から夜行急行利尻と一部共通運用の簡易リクライニングの14系客車に切り替えましたが、スピード的にも まだ高速道路がなく全線下の道を走っていたバスと変わらない状況でした。

この札幌−稚内間のバスが羽幌線に沿って走り、便宜乗車までさせているのを見た沿岸バスが札幌直行便の運行を始めてから、乗客を奪われた羽幌線唯一の急行“はぼろ”は廃止となり、日本海側の長大ローカル線だった羽幌線も1987年に国鉄と運命をともにすることになってしまいました。

2005/09記

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