福井鉄道

福井鉄道の車両

福井鉄道の想い出

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80型3扉車
田原町
'85.8

120型
市役所前
'85.8

80型
市役所前
'85.8

200型連接車
市役所前
'85.8

200型連接車
福井駅前
'85.8

ハ2
社武生
'69.7

型式不詳
社武生
'69.7

     

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福井鉄道福武線に初めて乗ったのは、1985年の夏ことです。大阪方面から湖西線経由の特急“雷鳥”で、北陸本線の武生駅で下車したものの、福井鉄道が見つかりません。駅前の商店街で訪ねたところ、福井方面に少し入った奥まったところにある“武生新”駅を教えてもらいました。

ホームで待っていてくれたのは、200型の急行福井駅前行きです。高速電車には珍しく、連結面の部分に台車がある2車体連接車で、車内は急行用にふさわしいセミクロスシート、WNドライブの高性能車です。日本車輌1960年のプレートがついていました。この頃はまだ地方の中小私鉄でも、立派な新車をつくっていたんですね。

当時、既に新造から25年が経過していましたが、他の車両には無い窓下の白帯と正面の急行マークがよく似合い、福井鉄道ピカイチの存在でした。急行の仕業は、この直後に静岡鉄道から転入した300型に譲ったものの、新造から45年を経た今でも、冷房化されて活躍しています。

急行で福井駅前に到着したあと、国鉄の福井駅の裏に抜け、京福電鉄三国芦原線に乗って福井鉄道との接続駅田原町へ。やってきたのは80型の2両編成です。南海電鉄から譲り受けた正面が卵形の木造車の車体を新造して生まれたこの車両は、 走行機器を更新し、冷房化等の改造を受け今でも現役です。

田原町から福井新までの軌道区間は、大きな電車がゴロゴロと路面を走ります。途中の市役所前の交差点から、福井駅前までの分岐線もあります。田原町行きの電車は直進しますが、武生新から福井駅前行きは道路上でスイッチバックして、田原町からの武生新行きも一旦分岐線を渡って福井駅前に向かいます。福井鉄道オリジナルの120型と、名鉄の中古車140型の2両編成が来ました。

かつては、新宿や品川、神戸や奈良でも、大きな電車が路面電車のように道路の真ん中を走る姿がありましたが、道路中央の安全地帯から乗降するのは、福井鉄道だけではないでしょうか。電車が安全地帯に停まると、ドアの下部に取り付けた折りたたみ式の二段のステップを降ろして、乗客は階段を登って高床の電車に乗り込みます。お年寄りが乗り降りに苦労し手いるのを見ていると、気の毒に思えることもあります。

そんな福井鉄道に、廃止された名鉄岐阜市内線・揖斐線・美濃町線の車両が譲渡され、現有車両の大半を入れ換えを図る 計画が進んでいるそうです。2006年には一部の車両を除いて、路面電車タイプの電車に統一されるそうです。安全地帯からの乗り降りは便利になりますが、大きな電車が路面を走るおもしろい風景は、ラッシュ時に見られるだけになりそうです。

かつて、福井鉄道には福武線の他に、国鉄鯖浦駅から福武線の水落駅で交差して西に向かい、織田に至る鯖浦線と、国鉄武生駅に接続する社武生から東に向かい、岡本新でスイッチバックして戸ノ口に至る南越線がありました。

このうち、鯖浦−水落間は1960年代の前半に廃止されています。その後、南越線の粟田部から先が'71年に、鯖浦線の残りの区間が'73年にと順次廃止が進み、南越線の残存区間も'81年に廃止されて、現在の福武線を残すだけになっています。

南越線に乗車したことは無いのですが、まだ全線で運行されていた1969年の夏に、ED70の牽く北陸本線の普通列車で武生を通ったとき、オハ35の車窓から隣接する社武生駅に停車する車両のスナップが2枚残っています。1枚は、木造の付随車ハ2で、路面電車のような台車をはいています。

もう1枚にはもう少し新しい車両と貨車が写っています。自社線内の貨物列車も運行していたのでしょう。その右後ろに見える近代的な車体の一部は、福武線の200型をモデルに手持ちの機器を寄せ集めて、福井鉄道自家製の車体をつくって乗せた南越線の主力の131型ではないかと思われます。

 

2005/12記

 

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