越美南線/長良川鉄道

越美南線の列車

越美南線の乗車券

越美南線の想い出

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キハ26
郡上八幡
'69.7

キハ26
郡上八幡付近
'69.7

キハ17+キハ35
北濃
'69.7
国鉄バス
北濃駅前
'69.7
   
キハ47+キハ28
北濃
'85.9
キハ28+キハ47
北濃
'85.9
キハ28
北濃
'85.9
長良川鉄道転換直後
美濃白鳥?
'87.2

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北濃から美濃白鳥行きの乗車券

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高原列車の小海線や、信濃鉄道の大町と糸魚川をの間に建設された大糸線をなど、新しい鉄道の路線が建設されるとき、○○北線、○○南線 などとして両端から少しずつ路線を延ばしながら、めでたく中央部で路線がつながり○○線となった例があります。最近では、広島県の三次と島根県の江津とむすぶ路線として 、三江北線と三江南線がつながったのが1975年のことです。

そんな中、北海道オホーツク沿岸の興浜北線と興浜南線のように、不幸にも全通を見ることなく日本国有鉄道経営再建促進特別措置法に基づく廃止対象路線となって、消えていった路線もあります。

高山本線の美濃太田から長良川に沿って北濃をむすぶ越美南線は、福井から九頭竜湖までのびてきた越美北線と結び、越美線として中部地方と北陸地方を結ぶルート の一つになる予定の線だったのですが、1980年に成立した国鉄再建法に基づく第2次特定地方交通線に選定されました。

幸い、1986年12月に岐阜県等が出資する第三セクターの長良川鉄道に転換して廃線はまぬがれましたが、越美線として全通する夢は潰えました。

越美南線と越美北線を初めて訪問したのは1969年のことです。美濃太田から越美南線で北濃に至り、美濃白鳥に戻ってから京福電鉄大野駅行きの国鉄バス大野線に乗り換えて、途中の越美北線の当時の終点であった勝原(勝原)で下車、越美北線に越前大野まで乗り、この頃はまだ大野まで通じていた京福電鉄に乗り換えて福井に抜けています。

当時の写真を見ると、越美南線の普通列車の車両は車体幅の狭いキハ17や3扉ロングシートのキハ35、それに急行用のキハ26など、当時のローカル線ではどこでも見られた種々雑多な編成です。優等列車としては、名古屋−北濃間に急行“おくみの”が、名古屋−美濃太田間は高山線の急行“のりくら”に併結ながら1往復運行され、2時間半程度で結んでいました。

長良川にそって越美南線と平行する国道には国鉄バス名金線として、名鉄と共同で名古屋−金沢間にバスが運行されていました。観光地である合掌造りの民家で有名な白川郷を経由するとはいえ、山越えの道を10時間近くかけて毎日4往復もの長距離バスが運行されるだけの需要があったのでしょう。直通客がどの程度いたのかわかりませんが、高速道路のない当時、名古屋−美濃白鳥間は3時間15分を要し、この区間では急行“おくみの”が優位を保っていました。

北濃駅前で懐かしい旧塗装の国鉄バスの写真がありますが、これは美濃白鳥駅から北濃駅を経由して牧戸方面の区間運転の便です。JRバスは、すでにこの路線から撤退しているようです。

2度目の越美南線訪問は、それから16年後の1985年です。すでに長良川鉄道への転換が決まっていたと思います。今度は福井から入り、勝原から先は長大トンネルで延長された終点の九頭竜湖まで越美北線に乗り、国鉄バスに乗り継いで美濃白鳥に出て一旦北濃に立ち寄り、美濃太田から太多線、中央線経由で名古屋に抜けています。

 キハ40系が導入されるなど、一部の車両は世代交代が進んだものの、沿線は以前と変わらぬのどかなもので、終点の北濃駅にも駅員さんが勤務していて、美濃白鳥行きの乗車券は硬券でした。

3度目は、長良川鉄道に転換直後の1987年です。車両だけは国鉄型の気動車からワンマンカーのレールバスタイプの軽量気動車に総入れ替えされていましたが、国鉄から引き継いだ古い駅舎や沿線の風景はそのままでした。

それからさらに15年が経過して2002年になると、国鉄バスから引き継ぎJR東海バスが運行していた美濃白鳥−九頭竜湖のバス路線が廃止されました。もともと積雪季は運休になり、それ以外の時期も空気を運ぶような路線だったそうですが、細い糸で辛うじて繋がっていた越美南線と越美北線の連絡が途絶え、越前と美濃を結ぶ両線の当初の目的は完全に潰えてしまいました。

2003/05記

越美北線はこちら

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