越美北線

越美北線の列車

越美北線の想い出

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キハ23
福井
'85.8

キハ52と485系
福井
'85.8

キハ23
勝原
'69.7

国鉄バス
九頭竜湖駅前
'85.8
九頭竜ダム
国鉄バスの車窓
'85.8
   

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高原列車の小海線や、信濃鉄道の大町と糸魚川をの間に建設された大糸線をなど、新しい鉄道の路線が建設されるとき、○○北線、○○南線 などとして両端から少しずつ路線を延ばしながら、めでたく中央部で路線がつながり○○線となった例があります。最近では、広島県の三次と島根県の江津とむすぶ路線として 、三江北線と三江南線がつながったのが1975年のことです。

そんな中、北海道オホーツク沿岸の興浜北線と興浜南線のように、不幸にも全通を見ることなく日本国有鉄道経営再建促進特別措置法に基づく廃止対象路線となって、消えていった路線もあります。

福井と九頭竜湖をむすぶ越美北線は、美濃太田から北濃まで開通していた越美南線と結び、越美線として福井から岐阜・名古屋方面に至るルートになる予定の線でした。 開通は以外と遅く、北陸本線から分岐する越前花堂から勝原(かどはら)までが1960年、長いトンネルを掘り九頭竜湖に達したのが1972年です。

越美南線と越美北線を初めて訪問したのは1969年のことです。美濃太田から越美南線で北濃に至り、美濃白鳥に戻ってから京福電鉄大野駅行きの国鉄バス大野線に乗り換えて、途中の越美北線の当時の終点であった勝原(勝原)で下車、越美北線に越前大野まで乗り、この頃はまだ大野まで通じていた京福電鉄に乗り換えて福井に抜けています。

このときの写真は1枚だけ。勝原に停車中のキハ23は、ピカピカの新車でした。その向こうには九頭竜湖方面に延長される工事中の路線で、真新しいトンネルが口を開けています。

2度目の越美南線訪問は、それから16年後の1985年です。今度は福井から入り、乗り残した越前花堂−越前大野間に乗車し、そのまま終点の九頭竜湖まで行っています。車両は、塗色がタラコ色に変わっていましたが、相変わらずキハ52とキハ23ががんばっていました。

夏休みとあって、大半の乗客が青春18族だったのでしょう。九頭竜湖まで乗ってきた乗客の大半はそのまま福井方面に折り返していき、国鉄バスに乗り継いで美濃白鳥に向かったのはわずか数名でした。

国鉄再建措置法で越美南線が廃止の対象になり、第三セクターの長良川鉄道に転換しました。1960年代には越美南線と一緒に廃止対象の赤字ローカル線の候補に挙げられながら、越美北線は幸運にもJR西日本に引き継がれました。

それからさらに15年が経過して2002年になると、国鉄バスから引き継ぎJR東海バスが運行していた美濃白鳥−九頭竜湖のバス路線が廃止されました。もともと積雪季は運休になり、それ以外の時期も空気を運ぶような路線だったそうですが、細い糸で辛うじて繋がっていた越美南線と越美北線の連絡が途絶え、越前と美濃を結ぶ両線の当初の目的は完全に潰えてしまいました。

2003/05記

越美南線はこちら

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