中央本線 |
塩尻経由長野行 |
辰野回りクモハ123 単行の普通列車 '87.10 塩尻 |
キハ91の 急行“きそ” '71.11 塩尻 |
D51の牽く |
D51の牽く |
中央線といって思い浮かぶのは、国電初の高性能車、オレンジバーミリオンの101系快速電車です。最近ではその後継の201系が終焉を迎えていますが、 ラッシュ時には2分ごとに、同じ電車ばかりやってくる余りにも日常の風景であったため、写真に残すなどということはありませんでした。
中央本線は東京から新宿、塩尻を経て名古屋をむすぶ路線です。 と言っても、全線を直通する列車はなく、国鉄時代から篠ノ井線との接続駅である塩尻を境に、新宿から松本方面に向かう中央東線と、名古屋から松本方面に向かう中央西線に分けられてきました。
新宿から中央東線の列車に乗り、途中で寄り道しながら中央西線で名古屋に抜けたことが一度だけあります。1972年当時は、中央東線に新宿発塩尻経由長野行きの、旧型客車による夜行普通列車がありました。飯田橋駅の近くに客車区だったか留置線だったかがあり、始発の新宿駅まで回送されてきます。
お盆や年末の帰省時期などの混雑時には、列車に乗るためにはあらかじめコンコースに並んで待つ必要がありましたが、10月の閑散時、それも平日の夜行列車は空いていて、ゆっくり寝ていくことができました。
牽引機はEF13だったでしょうか。ここに1枚だけ写真のある 客車は、1ボックスに2枚ずつ狭窓のならぶスハフ36、これってスハフ32の台車を軸バネ式のTR23からウイングバネのTR40に振り替えたもので、乗り心地は良くなっています。
夜行の普通列車は、早朝に小淵沢に着きます。小海線の始発に乗り換えて野辺山へ。小諸から長野、戸隠方面をまわって姨捨を越え、塩尻から再び中央西線です。
後に、塩尻駅は移転して、新宿方面と名古屋方面のいずれからも、スイッチバック無しに松本に直通できるように改良されましたが、この頃はまだ、中央東線と西線が直通できる線形でした。1971年の写真ですが、電化前の中央西線で活躍していた、後のキハ181やキハ65の基になった高出力エンジンを搭載した試作気動車、キハ91の急行“きそ”が顔をのぞかせています。
1972年秋の中央西線は、中津川−塩尻間の電化工事が進んでいました。上松では、木曽川の対岸を走る木曽森林鉄道の車窓に、ポールが立ち始めた中央西線で最後の活躍をするD51の姿がありました。
それから10年後、中央東線にみどり湖ルートが開通します。塩尻−辰野間は実質的には辰野支線となり、国鉄末期には、荷物電車改造のクモハ123による単行運転が始まります。JR化直後の姿をお目にかけますが、まだ冷房はなく、こんな塗色で“ミニエコー”のヘッドマークを掲げ、車掌さんも乗務していました。
2010/3 記