池北線

池北線の列車

池北線の入場券

池北線の想い出

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C58の牽く
上り貨物列車
'70.3 訓子府

キハ22単行の
下り普通列車
'70.3 訓子府

   

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訓子府駅の入場券 斜めにカットされて
いるのは10円の子供の入場券として買ったため

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根室本線の池田と石北本線の北見を結んでいた、
北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線が、2006年4月20日で運行を終えましたね。

国鉄からJR北海道へ転換した1980年代の半ばから後半にかけて、短い盲腸線から名寄本線や天北線、羽幌線、標津線などの長大路線まで、幹線を除く多くの路線が廃止される中で、1989年に池北線を引き継いで北海道唯一の第三セクター鉄道として発足したのが北海道ちほく高原鉄道でした。

それから17年、さまざまな振興策を尽くしても、クルマ社会と少子化に加えてゼロ金利の中で、過疎地帯を走る全長140kmにも及ぶ長大な路線を鉄道として維持していくことは困難だったのでしょう。

池北線は、石北本線が石北峠を越えて旭川と北見が繋がるまで、根室本線の池田から別れて北見を経て網走まで、網走本線の名のもとで札幌方面と網走を結ぶメインルートだったそうですが、もうその面影はありません。

私が初めて、そして最後に池北線に乗ったのは、1970年の3月のことです。石北本線の項でも書きましたが、冬期間2割引となる北海道均一周遊券(後のワイド周遊券)で、稚内を夕刻に発車するキハ56とキハ27の2連の旭川行き急行“礼文”(この頃一時的に利尻1号を名乗っていたかもしれません)に乗り、23時頃に旭川に着いて2時間ほど待ち、夜行急行“大雪6”号網走行きに乗り継いでいます。

“大雪6号”は札幌からED76型電気機関車が牽引してきて、旭川でD51型蒸気機関車に付け替えです。貨物用ですが、急行とはいえ夜行列車ですから速度は要求されず、峠越えの急勾配があるためD51が適任だったのでしょう。

前夜の、札幌から稚内までの急行“利尻”に続き、夜行の座席車で連泊のため、遠軽で進行方向が逆になったのも、常紋の峠越えも気付かずに眠り、翌朝6時前にまだ夜の明けやらぬ北見に着きました。

冬季は日曜祝日のみ、摩周湖第一展望台を往復するバスが運行される釧網本線の弟子屈(今の摩周)まで行くつもりでした。大雪6号は北見で30分近く停車の後、機関車をD51からC58に付け替えて普通列車となって終着の網走を目指します。

このまま終点の網走まで乗り続けても、2時間後の北見始発釧路行き急行“しれとこ2号”と網走到着は30分あまりの差で、釧網本線の乗り継ぎは“しれとこ2号”になります。北見で一旦下車して、“しれとこ2号”の発車時刻までの時間つぶしに均一周遊券の有効活用も兼ねて、池北線の池田行き上り始発列車に乗って訓子府まで往復しました。

池北線は、当時の北海道のローカル線の標準型気動車、キハ22の単行運転です。下り列車とは、訓子府の3つ先の境野で交換ですが、途中の大きな町である訓子府なら待合室に暖房があるだろうと思い、ここを下車駅に選びました。

30分ほどの待ち合わせ時間の間に、駅には北見に向かう始発列車を待つ大勢の人々が集まり、石炭が赤々と燃える待合室のストーブを囲んで、賑やかだったような記憶があります。

やがて、改札が始まりホームに出てみると、上りのホームにC58の牽く貨物列車が停車して、これから乗る北見行きの普通気動車と交換待ちです。1枚シャッターを押したのですが、白銀の中の逆光のため、こんな失敗写真になってしまいました。

やがて、下り北見行きがキハ22の単行で到着すると、C58の貨物列車は一足先に池田に向けて発車していきました。

2006/05記

 

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