別府鉄道

別府鉄道の車両

別府鉄道の想い出

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野口線の
気動車キハ2
野口 '82.8

キハ2の
運転台
野口 '82.8

キハ2の
車内
別府港 '82.8

キハ2は
三岐鉄道出身
 別府港 '82.8

土山線の
二軸客車ハフ5
別府港 '82.8

         

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35年前、1972年の秋に名古屋に向かう中央西線のディーゼル急行“木曽”の車内で出会った、別府鉄道(べふてつどう)の運転士さんのことは今でも印象に残っています。ボックスシートの向かいに座っていた若い男性で、お互いに信州旅行の途中の出来事です。彼の播州弁は所々解らないところもありましたが、大変興味深い鉄道マンのお話しを聞くことができました。

別府鉄道は、兵庫県加古川市にある、肥料を主体とした多木科学の原材料や製品を運ぶための鉄道でした。会社のマークは多木化学と同じ、2本の鍬の柄を重ねた神代鍬で、工場のある別府港駅と国鉄山陽本線の土山駅を結ぶ土山線と、加古川から分岐して後に廃止された、国鉄高砂線の野口駅を結ぶ野口線がありました。

土山線は貨物輸送が主体で列車本数も午前と午後に2本ずつ程度と少なく、小さなディーゼル機関車の牽く貨車に、これまた小さな2軸客車を1両連結した混合列車が運行されていました。

野口線は一定の利用客があり、野口で国鉄高砂線の列車に接続するダイヤを組み、1〜2時間に1本程度の列車が運行されていましたが、ディーゼルカー1両で十分に賄える乗客数でした。

急行“木曽”の車内でお話しをうかがった運転士さんは、事務員として入社してから、ディーゼルカーの運転免許を取得されたそうです。運輸省の行う実技試験と筆記試験があり、筆記試験では「黄色が2つ点灯してたら警戒信号、そんなもん試験に出しても、うちの会社にあらーへんから役に立たん」などと言っていました。

また、雨上がりのあとの朝の一番列車は線路が錆びていて、軽いディーゼルカーが踏切警報機の接点のある場所を通過しても通電せずに警報機が作動しないことがあるため、少し手前からアクセル(手でレバーを操作)をおもいっきりふかして車輪を空転させてレールの錆落としをして電気が流れるようにするなどの、別府鉄道ならではの運転のノウハウを教えてもらいました。

上松で下車するとき、ぜひ一度、別府鉄道に遊びにおいでと声をかけてもらってから実際に訪れる'82年の夏まで、10年の歳月が流れていました。

山陽本線の電車から加古川駅で乗り換えた国鉄高砂線のキハ20が、山陽本線を北から南へオーバークロスして地平に降りると野口駅があります。ホームの向こう側には、前後のバケットと呼ばれる荷物台に“2”の立派なナンバープレートを付けた、別府鉄道のディーゼルカーが、乗り換え客を待っています。

三岐鉄道から来た中古車で、機械式と呼ばれるバスと同じクラッチとシフトレバーでの変速、アクセルは手でレバーを動かす旧型のディーゼルカーがわずかな乗客を乗せて別府港に向かいます。

数分で到着する別府港には車庫があり、見学を申し出ようと思っていたのですが、別府港に下車したとたんに「写真はあかん」と追い払われてしまいました。当時、押しかけるファンに会社側が神経質になっていたのか、あるいは何か悪さをした輩がいたのか。10年前に、急行“木曽”の中で会った運転士さんの名前でも覚えていたら、また違った展開になっていたかもしれません。

帰りは土山線に乗車しようと思っていたのですが、時間をつぶせるあてもなく、やむなく折り返しの野口線のディーゼルカーで引き返したのでしょう。車窓からのスナップと思われる1枚中に、土山線の客車ハフ5と野口線のディーゼルカーキハ3が写っています。

この訪問から2年を経ずして、国鉄貨物の合理化で別府鉄道の主体であった貨物列車の運行が困難となり、別府鉄道は廃線となりました。

2007/10記

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